(画像:時事通信/GETTY/AP)

 

昨日、テニスの「全豪オープン」で2度目の優勝を果たし、四大大会で4年連続4度目の制覇を成し遂げた大坂なおみ選手。


彼女ほど、覇者ではなく「王者」という称号に相応しいアスリートはいない。

 

覇者は力によって相手を捩じ伏せるのに対し、王者は仁愛や徳によって天下を治める。

 

昨年の全米オープンで大坂選手は、決勝までの7試合に用意した7枚のマスク、その一つ一つに、黒人に対する人種差別や警察による暴力によって犠牲になった人たちの名前を記し抗議の意志を表明した。

 

(画像:時事通信/GETTY/AP)

 

そして、東京五輪組織委員会の森喜朗前会長による女性蔑視発言に対してコメントを求められた時も、


「彼のような立場にいるなら、話す前に考えるべき。あの発言は情報不足で少し無知。

周りにいる人も、彼が言おうとしていることで多くの人の感情に影響することを、知らせる必要があった」

 

と森前会長のみならず、その発言を結果的に看過した同席者に対しても苦言を呈した。

 

 

アスリートが政治問題や社会問題に積極的にコミットすることを良しとしない風潮は、日本に限らず世界にも存在する。

 

アスリートは「君子危うきに近寄らず」、競技に専念し勝負に勝ってこそ存在価値があるという考え方だが、本当にそうだろうか?

 

この問題に思いを致す時、私は『論語』

の「君子不器」という言葉を想起する。

 

「君子は器にあらず」つまり「君子は(一つのことにしか役立たない)道具ではない」という意味だ。

 

アスリートも意志を持たない単なる競争の道具()にとどまらず、普遍的な価値や正義、即ち「徳」を明らかにしてこそ、その存在価値が高まり、存在意義も明確になるのではないだろうか。

 

大坂選手も、セリーナ・ウィリアムズと対戦した準決勝後の記者会見で、昨年8月に大会が再開されてから今までの期間を振り返り次のように語っている。

 

「隔離生活のプロセス、それに世界で起きていることの一つひとつを見ていて、たくさんのことを整理することができた気がする。

つまり、以前の私は、テニスの試合で勝ったか負けたかによって自分の存在価値を測っていたの。でも今はもうそんな風には感じていないわ」

 

コロナ禍での東京五輪開催の是非を、感染者数やワクチン接種の進捗具合と照らし合わせて勘案することと平行して、スポーツの真の「価値」について、アスリートを含めすべての人々が問い直し考えを深めることが、実はとても重要なのではないだろうか。

 

 

多くの人々による苦労と忍耐、協力と犠牲の上に開催・完遂できた全豪オープン。

 

その頂点をきわめた大坂なおみ選手の強さ、気高さ、優しさ、愛らしさ、その全てに胸が熱くなり、東京での五輪開催へと心が大きく動き出したのは、私だけではないはずだ。

 

人間にとって「エッセンシャル(本質的)な価値」とは何なのかー

 

大坂選手が世界に投げかけてくれた問題意識とは、まさにそのことなのだと思う。

 

(画像:朝日新聞/YouTube)