君が、君であること。
それが一番大事。

では、君が君であるとは、
どういうことか。

それは、君が君の心で感じ、
君の頭で考えるということだ。

君が感じ、
君の考えることすべてが、
今の君を君たらしめている。


まだ幼い君たちの両足が、
入学式のパイプ椅子で
ユラユラと揺れていた頃、
誰しもが持ち合わせていた
キラキラとした瞳の輝き
弾けるような笑顔。

そんな生命(いのち)のオーラともいうべき光が、
成長とともに褪せて行き
やがてすっかり消え失せて、
どんより澱んだ(まなこ)へと
変わってしまうのはなぜだろう。

それは君の心が動くこと、
つまり感動することを、
君自身が抑えることを学ぶからだ。

人はそれを、
“大人”になると呼ぶ。


たしかにこの世に、
つらく、苦しいことは数多い。

もういっそ何も感じなければ、
こんなにつらく悲しい思いなど
しないで済むのにと
思うことは数しれない。

いくら考えても
納得が行かない、理屈が通らないと
思うことも数え切れない。

だからみんな、
早く“大人”になりたがる。

自分の心は押さえつけて
ただみんなが笑うから笑ってみたり、
自分の考えに鍵をかけて
ただみんなが動くから動いてみたり、
そんなふうに生きていれば
毎日は平穏無事に
過ぎて行くのかもしれない。

でも、それで
君は本当に生きていると言えるのか。

大人になるとは、自分をごまかし、
自分を偽るということなのか。


瞳の輝きは、正直だ。

自分の心をごまかし
感動する心を眠らせようとすると、
その輝きは即座に消え失せる。

自分の頭で考えることをやめ
誰かの考えを鵜呑みにする時、
考える努力を怠って
周囲の考えに闇雲に付き従う時、
君は君でなくなる。
 

 

感じることを、躊躇(ためら)うな。
考えることを、怠るな。
行動することを、恐れるな。

君の人生のすべては、
そこから始まる。


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もう十数年、ずっと作新学院小学部の卒業文集に掲載し続けている文章です。

毎年、小学部から原稿依頼があるのですが、これを超えるような“贈る言葉”が綴れぬまま、年を重ねています。

拙文ながら、きっとこれに代わる送別の辞は死ぬまで書けないだろうなと、思っています。