節分に行われた「立志式」の話の続きです

 

遅ればせですがこの文章の表題にある『論語』、YOASOBI、『鬼滅(の刃)』はいずれも生徒への祝辞の中で私が取り上げた作品。

 

ちなみにYOASOBIとは、昨年デビュー曲「夜に駆ける」が総再生回数5億回を超え大ヒットした音楽ユニットで、NHK紅白歌合戦にも出場、テレビ初の生歌を披露し大きな話題になりました。

 

このYOASOBIの「群青」という楽曲の歌詞が、『論語』の一節「これを知る者はこれを好む者に()かず。これを好む者はこれを楽しむ者に()かず。」に重なると私には感じられたので、該当箇所に下線を引いた歌詞カードを用意して生徒達に配布し、式辞終わりに会場で一緒に聴きました。

 

 

このところ児童・生徒の前で話す際は、できるだけ今流行っている作品と古典作品の共通項を指摘し、両者を絡み合わせながら子どもたちの関心や理解、共感を深めてもらうよう心がけています。

 

古典は堅苦しくて敷居が高く難しいという先入観を打破して、古典は普遍的で不変の真理が書かれているから価値があること、大昔の偉人たちの感性や価値観や正義感は、今の私たちと基本的に同じなんだということが、子どもたちに伝わったらいいなと思っています。

 

でもこの試み、実のところ教育現場の大人たちにはウケが悪いというか、ほぼ完全に無視され続けています。

 

古典は権威であるから素晴らしく、漫画や流行り歌は娯楽だから低俗という、つまらないステレオタイプに、残念ながら大人(特に年配層)たちの頭というのは思った以上に、どっぷりと浸かり込んでいることを、改めて思い知らされます。

 

そういう大人たちに日々指導を受けている子どもたちもお利口なもので、大人の顔色を見て自分の取るべき行動や表情をしっかりコントロールしますから、鬼滅やYOASOBIが理事長の祝辞に出てきたとて表情一つ変えず、目をキラキラさせる生徒はほぼ皆無。

 

大方の生徒は大人と同じように、能面のような無表情さをピクリとも変えず、感動も驚きもさしたる興味もまったく感じられないどよん(・・・)とした眼差しで、こちらを見つめています。

 

まぁ、私の話が単に下手でつまらなかったのだろうと思いますし、目の前の生徒たちが心の中で本当に何を感じ、頭の中で何を考えているのかなど推し量りようもないわけですが・・・

 

ただ、真の意味での「志」を立てられる人間を育てようとするならば、教育現場ではやるべきことがある。それは子どもたちの柔らかく真っ直ぐな心や鋭い感性が、常識の枠や先入観にひち曲げられ、やがて摩滅し固まってしまう前に、「本当の自分」と向き合えるよう指導すること。

 

そして、自己を深く掘り下げる習慣をつけさせ、精神の自由をいつまでも保てるよう導くことだと、私は思うのです。

 

  (その3につづく・・・)