新型コロナウィルスとは、実に示唆に富んだ病だ。

人が他者を想う心を失くし、自己制御能力を欠くと、堰を切ったように蔓延する。

つまり、人が人の心を失い、鬼に堕すると蔓延するのだ。


2020年、社会現象を巻き起こし、年明け後も歴史を塗りかえる記録更新が続く『鬼滅の刃』。

そこに描かれる、「人」と「鬼」の違いとは何か。

それは行動の原点にある。

人は自らの「意志」や他者への「想い」で行動し、鬼は自らの「欲望」や強者への「恐怖」で動く。

主人公の竈門炭治郎が所属する「鬼殺隊」の最高管理者である産屋敷耀哉(お館様)の屋敷で、鬼殺隊のトップメンバーである「柱」たちは会議を開き、規律違反を犯した炭治郎を許して欲しいというお館様の考えに対し、異議を唱える。

会議では、規律に照らし論理的な整合性を重んじながら、実証実験(禰豆子を傷つけた上、血の匂いを嗅がせる)も実施の上、民主的な議論を重ね全体の意思決定を行う。

柱たちはリーダーであるお館様に尊敬と敬愛の念を抱きながらも、決してその言いなりにはならず、それぞれ自分なりの意思を持って発言し議論し、合意形成を行った上で行動する。

一方、鬼のトップに君臨する鬼舞辻無惨はその屋敷である無限城で、期待にそぐった戦功をあげられなかった部下である下弦の鬼たちを有無を言わさず皆殺しにする。

利己的な欲望のまま情け容赦なく人を喰らう(つまり他者を犠牲にする)鬼は、意志を持つことを許されず、恐怖によって行動をコントロールされる。


コロナの特効薬は、「人(=他者)のことを想う」気持ちだ。

だが、その特効薬を人が持ち合わせないのであれば、この病を食い止めるため特措法改正の「罰則」という恐怖によって、人はその行動を鬼の如くコントロールされることとなる。

「恐怖」による行動統制が進めば、人の「意志」はやがて封殺され、人は人でなくなる。

コロナ禍で、人は鬼に堕してしまうのかー

今が、正念場だ。