外相サミット開催に、絶好調の広島カープと、今一番「神ってる」パワースポット・広島県。その宮島に鎮座する厳島神社で毎年旧暦6月17日に行われる最大の神事「管絃祭」に伺いました。


およそ800年の歴史を持つ管絃祭は、京の貴族が邸内の池に浮かべた船上で雅楽を楽しむ舟遊びを、平清盛公が厳島神社と瀬戸内海を池に見立て壮大なスケールで催したのがその起こりで、遊びではなく厳島大神を慰め奉る御神事として今も行われています。

今年の開催日は7月20日。御鳳輦(ごほうれん)と呼ばれる御神輿を乗せた御座船(ござぶね)が海上を渡るため、大潮の満月でしかも台風の影響をなるたけ避けられる旧暦の6月17日に管絃祭は行うものと、古来より定められています。

御座船は、神社の御用大工が棟梁となり町内の大工さん全員のご奉仕によって、3艘の和船を舫って仕立てられますが、これを「御船組(おふなぐみ)」と言います。御座船には、御神体を移した御鳳輦とともに、宮司様をはじめ管絃を奏でる神官の方々、そして船を操る地域の方々が乗船されています。


また、海に立つ大鳥居より内側(御池とよばれる)の管絃船が通る道筋は、船体が底を擦ることなく航行できるよう地域の方々がご奉仕に出て、事前に浚渫を行います。これを「御州堀(おすぼり)」と言います。早朝から鋤や鍬を携えて奉仕されるそうですが、そうしたご奉仕に対し神社から授与される榊の小枝は、田の畔に立てると害虫除けになるという信仰があるそうです。


午後5時、管絃の雅なる音を奏でながら管絃船が、厳島神社の大鳥居をくぐりいよいよ船出します。およそ6km先の対岸にある地御前神社へと渡り、午後11時頃に厳島神社へと戻る御座船を曳航するのは、今も人の手によって漕がれる「櫂」と「櫓」の漕ぎ船です。

元禄14年、御座船が台風に襲われ転覆寸前となった際に、江波(えば)村の伝馬船と阿賀(あが)村の鯛網船が危険を賭して救助にあたった由縁が今に続き、広島市の江波と呉市の阿賀の皆さんが、今も6時間に及ぶ漕ぎ手を務めておられます。御座船を曳く三艘の中央で曳航する一隻が江波の櫂船、


そして左右で曳航する二隻が阿賀の櫓船です。


江波の漕船に曳かれた御座船は、大鳥居前で左周りに三度大きく廻ります。その後、阿賀の漕船が江波の船の左右に寄り沿い三隻の漕船で御座船を曳航し、瀬戸内海洋上へと漕ぎ出でます。


管絃船が地御前に到着する頃には、陽は既に西に大きく傾き、美しい夕日が船団と厳島神社を照らします。


夕日に輝く宮島の弥山(みせん)。古代から信仰の対象となり、数多くの修験者が行を積んだ神山の稜線は、観音様の寝姿にたとえられます。かつて厳島(宮島)は島全体が神とされ、人が住むことも許されぬ聖域でしたが、今も清浄なる格別な“氣”が島内には満ち満ちています。


地御前神社で祭典を行った後、管絃船は宮島に向かって漕ぎ出します。中天に上る満月の光に照らされながら進む船は、「ソラ、ヤートコセー、ヨーイヤナー、ホイ、ソレワイセ、コレワイセー、サァナンデモセ」の舟歌も勇壮に、かがり火を焚きながら瀬戸内の波間を進んでいきます。


管絃船は厳島神社へ戻る前に、同じ宮島の長浜神社と大元神社に寄り、それぞれ神事を行います。阿賀の船は長浜神社前で船団から離れ、そこから先は江波の船だけで御座船を曳航します。大鳥居をくぐり管絃船が無事に御本社に到着すると、江波の漕船は御座船を離れ神殿の枡形へと先行します。


厳島神社は大鳥居から見て、御本社本殿を中心に鳳凰の翼を広げたような作りとなっていますが、その左翼側、回廊で囲われている空間を「枡形(ますがた)」と呼びます。


限られたスペースしかないこの枡形で、江波船と御座船が見事にその船体を三度回す時、管絃祭はクライマックスを迎えます。

まずは、江波の船が枡形に入ってきます。炎天下の猛暑での6時間にも亘る曳航の労を讃え、回廊でその到着を待ちわびていた漕ぎ手の家族や観客から次々と声がかかり、拍手が湧き起こります。その声援を力に、漕ぎ手は最後の力を振り絞って船体を勇壮かつ軽やかに三度、枡形の中で回転させると、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれます。



江波の船が回廊脇に横付けされ、会場に静けさが戻った頃を見計らい、管絃の音とともに御座船が静々と水面を進んできます。



客(まろうど)神社前に正対して船を着け、厳かにまずは御神事が執り行われます。


御神事が終わると、いよいよ枡形へと御座船が進み入ります。何しろ和船三艘分の大きさですので、その存在感は圧倒的で、本当にこの枡形の中で船を廻せるのかしらと心配になるほどです。


多くの竿で巨大な船体を見事に操りながら御座船が廻り始めると、会場の喝采と熱気はピークに達します。


係留されている江波の船から指一本分も離れていないギリギリのラインを見極めながら、華麗に三度船体が枡形を廻り終える頃、時刻は既に日付変更線を越えていました。


観光客の多くは船廻しが終ると帰ってしまいますが、御神事はさらに続きます。御鳳輦のご神体を本殿にお戻しする還御の儀が執り行われるのです。実は御鳳輦の上に取り付けられている金の鳳凰に触れると幸いに恵まれるという言い伝えがあり、深夜にもかかわらず本殿前には多くの人が、幾重にも人垣を作っていました。

鳳凰は、神殿の中を御鳳輦が阿賀の人々に担がれて進む際、天井にぶつからないようあらかじめ取り外されます。御鳳輦が神殿内を進み還御の神事が無事に執り行われる間、一旦取り外された鳳凰をその年に選ばれた若衆が抱えて、タッチを待っている人々のところを回ってくれるというわけです。御神体をお戻しした御鳳輦が返ってくると、鳳凰を再び取り付け管絃祭はすべてお開きとなります。


今年の管絃祭はいつにも増して風もなく穏やかで、海上でも鏡のような水面をすべるように船団が進んで行きました。また出船直前に、晴天にもかかわらず降り注いだ清めの雨に洗われ、天空も大気もきわめて清浄となり、黄金の盆を掲げたような名月を、海上からも神殿からもずっと愛でることができました。

厳島神社をはじめ各神社の神官の皆様方と、多くの地元の方々の代々にわたるご奉仕によって、800年の時を超え営々と受け継がれてきた管絃祭。まさに天・地(海)・人が三位一体となって初めて催行できる、実に勇壮かつ荘厳でかつ華麗な、奇跡の如き御神事でありました。