先週、概要をご紹介した神戸医療産業都市は現在、日本最大のバイオクラスターに成長し、科学界で最も権威ある雑誌の一つである『nature』に大部の特集ページが組まれるなど、世界的にも高く評価されていますが、その始まりは平成7年の阪神淡路大震災に遡ります。




 市内死者数約4600人、経済損失7兆円という壊滅的な被害を受けた神戸市の復興事業として医療産業都市構想は平成10年にスタートしました。

 医療に限らず科学技術の進歩には、基礎研究から実用化・産業化まで一貫した研究開発体制の整備が不可欠です。ところが日本ではそうした認識が大変希薄で、医学でも基礎研究を臨床や産業化につなげてゆく「橋渡し研究」=トランスレーショナル・リサーチ(TR)が非常に遅れています。

 このことに大きな危機感を抱いていた井村裕夫先生(元京都大学総長、元総合科学技術会議議員)が、この都市構想懇談会の座長に就任され、多くの心ある方々が努力を積み重ねてきたことにより、日本初のバイオクラスターが実現しました。

 クラスターとは、大学などの研究機関と企業が地理的に集積し、協力と競争を同時に行う環境を言いますが、科学技術の発展のためには基礎研究から産業化まで様々な方面の関係者同士が常時コミュニケーションをはかれるよう一定範囲内に集まり、切磋琢磨できる環境が何より重要です。


 
 震災後いまだに明確な将来構想が示されない東北を筆頭に、分野別に高度なクラスターを構築し、世界から優秀なシーズを呼び込みイノベーションを生み出せる科学技術政策を実現して行くことこそが、未曽有の少子高齢化という難題を負った日本にとって最も喫緊の課題であると、私は思います。

 同時に、国民の血税によって生み出された研究成果(シーズ)の多くが、産業化につながることなく、つまり国民の幸福として還元されることなしに放置されている、あるいは海外に流出している日本の科学技術政策の現状は、決して許されることではありません。

 日本の政・官・学それぞれが、つまらない縄張り意識や、悪平等主義から今すぐ脱却し、国際競争を勝ち抜けるオール・ジャパンの体制を構築できない限り、我が国の未来はないでしょう。

 そのためにも、神戸医療産業都市を中核に、京都大学、大阪大学、神戸大学をはじめ近畿圏の産学がさらに連携を深め、世界トップのバイオクラスターへと発展されることを願ってやみません。