三回に亘りご紹介して来ました厳島神社の「桃花祭」ですが、最終回は御神事と舞楽奉奏の翌日から3日間にわたり奉納される「御神能」についてです。午前9時から夕刻まで毎日10番ほどの演目が、能は喜多流と観世流、狂言は大蔵流の方々により舞われます。



 厳島神社の能舞台も神殿や高舞台同様、橋掛りからすべて海面上に作られていますので、お能ならではの夢幻感はより一層深まり高められ、世阿弥の言うところのまさに「幽玄」の世界が現出します。

 御神能の初日、最初の演目は必ず「翁」と決まっています。「翁(おきな)」は、別格に扱われる祝言曲で、翁・千歳・三番叟の3人の歌舞からなり、翁役は白色尉、三番叟役は黒色尉という面をつけます。


 宮司様をはじめ主だった神官の方々も、この演目だけは臨席されますので、この「翁」がいかに神事そのものであるかがわかります。舞楽と同様、神とともに拝見させていただいていることの緊張と光栄をひしひしと感じました。
 この日は昨晩の舞楽とは反対に引き潮で、始まりから段々と海水が引いて行きましたので、水面にはいつも微かなさざ波が立ち、それがまたなんとも言えない風情を醸し出し幻想的でありました。


  「翁」に続いては、こちらも「翁」と同様に世阿弥作の神能である「養老」が舞われました。親孝行な木こりが養老の滝の付近に湧き出る泉の水を飲んだところ、まるで仙界の薬の如く気分爽快となったので、その水を汲んで老いた父母に飲ませると、心が勇み若返ったことによってこの水を“養老の水”と名付けたという、この演目。その要は清らかな「水」です。


 舞台正面から実際の水面に向かい、翁が手桶で水を汲む場面では、現実とフィクションが渾然一体となり心にフワッと花が咲いたようで、言い知れぬ感動に包まれました。


 演目の終盤に養老の山神が現われ、「神と仏は水と波のように一体であり、ともに衆生を救おうとのご誓願なのである。時として神として現われ、また仏として現われる。」と述べ、平和な御世を祝福して舞います。山神の言葉通り、宮島には長きに亘り神と仏が共に居られ共に栄えて守護救済にあたり、今もなお神社と仏閣は隣合って建ち美しい景観を作り上げるとともに、国際的な相互交流も盛んに行われています。

 厳島神社は桃花祭のみならず、まさにこの世の桃源郷であることを実感した御神能でありました。