前回掲載した厳島神社「桃花祭」で奉奏された舞楽について、今回は少し詳しくご紹介します。
  舞楽とはその昔、三韓や唐、渤海、林邑、天竺等から伝えられた音楽と舞のことで、聖徳太子が大阪の四天王寺に楽所を設け楽人を養成したのが始まりとされ、厳島神社の舞楽も平清盛が四天王寺から移し、今日に至っています。
  渤海とは旧満州からロシア沿岸部、林邑はベトナム中部、天竺はインドに、かつて存在した国々であり、実際に厳島神社の各演目の 舞人が着用する面や装束からは、伝承された国の風俗や民族性が見てとれます。

  一枚目の写真は、「蘇利古(そりこ)」という高麗楽(朝鮮半島系)の演目ですが、雑面という長方形の和紙に白絹を張り、墨で三角や三つ巴などを使って抽象的に人の顔を書いた面をつけ、蛮絵装束の文様は白地に藍一色で獣などが荒々しいタッチで描かれるなど、古美術でいうまさに「高麗もの」そのものでありました。


  二枚目の写真は、「貴徳」というこちらも高麗楽ですが渤海方面から伝えられた曲で、舞人は白い隆鼻黒髭の面を着け、頭巾の上に大きい宝冠を被り、一目で西洋人といった佇まいです。奏楽中のフラッシュ撮影は禁止されているのですが、たまたま他の方が焚いたフラッシュの光に照らされ、色白で彫りの深い顔立ちがくっきりと浮かび上がりました。


  三枚目の写真は、数多い舞楽の中でも最もポピュラーな「蘭陵王」です。「陵王」とも呼ばれるこの唐楽の舞人は、竜頭を戴いた金色の面を着け、裲襠 装束(りょうとうしょうぞく)という古代中国の鎧を模した衣装を着用しています。貴徳の舞人も、この装束を着けています。


  精緻に刺繍を施した厚地の絹を、膝上までを覆う丈の袖が無く脇のあいた貫頭衣の形に仕立てて、袍の上に着用して帯を結ぶ裲襠装束は豪華なもので、私も伊勢神宮での御神楽などで何回か見たことがありますが、厳島神社の衣装はそのどれもが実に壮麗かつ繊細で美しく、戸外での奏楽にもかかわらずこのようにクオリティの高い装束や面を着用して舞われることに、深い感銘を受けました。

  十を超えるそれぞれの舞楽から、伝承当時の日本がいかに世界に開かれた国際国家であったかが偲ばれ大変興味深いことでしたが、発祥した国々でこのような舞楽は既に滅びてしまっているそうです。そうした意味からも日本の舞楽は是非、世界無形文化遺産に登録されるべき価値があると強く感じました。