初めてのブログです


 

どんなことを、どんな風に綴ったらよいか正直、まだよくわかりませんが、皆さんと一緒に考えて行きたい問題をできるだけ素直な気持ちでお話しして行けたらと思っています。


 

初回は、何か記念になる文章をと思い、私が毎年、作新学院を卒業する小・中・高生に贈っている言葉を紹介させていただきます。


 

本当に子どもたちに伝えたいことを私自身の本音をぶつけて綴った文章ですので、ちょっと教育者としては“過激”かもしれませんが…


 


 

「君が、君であること」


 

君が、君であること。

 それが一番大事。


 

 では、君が君である、とはどういうことか。

 それは、君がいついかなる時も君の心で感じ、君の頭で考えるということだ。君が感じ、君の考えることすべてが、今の君を君たらしめている。


 

 まだ幼い君たちの両足が入学式のパイプ椅子からユラユラと揺れていた頃、誰しもが持ち合わせていたキラキラとした瞳の輝き、はじけるような笑顔。


 

そんな生命のオーラともいうべきものが成長とともに多くの君たちから褪せて行き、どんより淀んだうつろな眼に変わってしまうのはなぜだろう。


 

 それは君の心が動くこと、つまり感動することを、君自身が抑えることを学ぶからだ。


 

 人はそれを“大人”になると呼ぶ。


 

 たしかに、この世につらく苦しいことは数多い。

もういっそ何も感じなければこんな思いなどしなくてすむのにと思うことは数知れない。


 

いくら考えても、間尺にあわない、理屈が通らないと思うことも数えきれない。


 

どうせ世の中、こんな不条理なことばかりならもう何を考えたって無駄なことさと嘯いて、何もかも諦めてしまいたくなることだってしょっちゅうだ。


 

だからみんな、早く“大人”になりたがる。


 

自分の心を抑えつけてただみんなが笑うから笑ってみたり、自分の考えに鍵をかけてただみんなが動くから動いてみたり、そんなことをしていれば毎日は平穏無事に過ぎていくのかもしれない。


 

でも、それで君は本当に生きていると言えるのか。

大人になるとは自分をごまかし、自分を偽るということなのか。


 

瞳の輝きは、正直だ。自分の心をごまかし、感動する心を眠らせようとすると、その輝きは即座に消え失せる。


 

何かを感じた心を偽ったり、あるいは何も感じなくなったその時、君は君でなくなる。


 

自分の頭で考えることをやめ誰かの考えを鵜呑みにする時、考える努力を怠って周囲の考えに闇雲につき従う時、君は君でなくなる。


 

感じることを、ためらうな。

考えることを、怠るな。

行動することを恐れるな。


 

君の人生のすべては、

そこから始まる。