子供の頃から最近に至るまで、自分が何人なのか、居場所はどこなのか、ずっと探していた。

私は何者なんだろう?

日本でも海外でも、いつも宙ぶらりんの場所にいた。どこかに属したくて、1人でいるのが怖くて、自分の故郷はどこなんだろう?と、心も体もうろうろして、定まらない毎日が私にとっての日常

ここ!と、定まる感覚など全く未知の世界でおそらく一般人からしたら宇宙並の未知の世界の感覚だと思う

日本は居心地が悪かった。

かと言ってアメリカがいいかとゆわれると、アメリカも居心地が良かったわけでもない

だから余計に常に自分探しをして、全然自分が誰か分からなくなり自分が嫌いになり負のスパイラル

田舎で育った私は、学校でも、街中でも、人にじろじろ見られた。私は自分を「日本人」だと思っていたけれど、まわりはそう思っていなかった。

自分の生まれ育った国なのに、まるでよそ者扱い、常に観光客的存在。

日本人の友達と同じように育てられて、地元の学校に行って、同じ物を食べて、日本語を話しても、私は「日本人」の女の子にはなれなかった。唯一小学校では6年間という月日を経てみんなが私に慣れて外人という見られ方はしなかったけど、中学からは隣の小学校と合体したため新しい人だらけの環境でまた外人戻り。

きつい言葉をいう人もいた。「その顔で日本語話すの、まじ変な感じ」とか。その人は何も考えずに言ってるかもしれないけど、失礼だよね。笑

でも私は不思議と傷つかなかった。わたしはハーフだから、自分が変だから、仕方ないんだと納得。だから、より日本人になれば受け入れてくれると思って、日本人を観察し、真似し、どんどん日本人化していったけど、それが余計に自分を見失わせていた。

でも、家に帰れば、温かい家族が出迎えてくれた。日本人の母親とアメリカ人の父親は、いつも優しかった。私は自分のことを家族に話すようなタイプではなかったけど、親はいつも味方でいてくれて、家にいる時はホントのハーフでいれた気がする。アメリカ人の自分を否定したりもしていたけどいつも遊んでくれるお父さんのことは本当に大好きで、世界で一番の父親だと心の底から思ってた。頼りなさそう母もいざとなったら誰よりも頼り甲斐のある縁の下の力持ちのような存在でいつも安心できたのは母親がいたから。お母さんのこともとても大好きだった。

高校受験期からは大好きな親友ができた。彼女はいつもわたしを肯定してくれた。彼女のおかげでいろんな和にいれてもらえるようになって、今でも繋がってる友達もたくさんいる。中学では強い疎外感を感じて毎日泣きたい日々だったけど、高校を卒業する頃には、親友の力を借りずにできるようになった友達もたくさんいて、毎日笑って過ごした。

あの時の私は、人に受け入れられることで自分という存在を肯定していたような気がする。友達ができても、支えてくれる人がいても、拭いきれない疎外感から、いつも寂しかった。何かうまくいかないことがあると、自分が悪い、自分がみんなと違うから、と全ての原因はハーフでみんなと違うあることだと思い込んでた。 


全てに諦めがついた大学時代が転機

ずっとみんなと同じにならなきゃと必死に日本人にカスタマイズしていったわたし。日本の大学に入った辺りからみんなと違う自分に諦めがついた。きっかけは大学入学後。いろんな人がいてそれに影響された。1浪した人、5浪した人、一度社会人やってまた学生に戻った人、本当に様々な人がいてはじめてみんな同じでなくちゃいけない!というコミニュニティから抜け出せた時、私も違ってもいいのかも!って思え少しずつ変わっていった。メイクをしてお洒落をして、似合わない制服から脱することができたのもよかった気がする。

自分を受け入れられるようになってからはたくさんのいい出会いがあった。自分が嫌いな頃は心の底から信頼できる人に出会えるのは少なかったものの、自分が変わってから出会う人は本当にありのままの私を受け入れてくれる人ばかり。

自分が変われば周りが変わる。実体験として本当に思う。

今となってはハーフで本当によかった。

ハーフに生まれて良かったのは色んな体験をして、楽しい気持ちも悲しい気持ちも味わって、人生が豊かになったということ。いろんなスキルも身についた。みんなと同じになろうと必死に日本人を観察して日本人になろうとしたことから人を見る観察力やその場の適応能力に長けたこと。違って当たり前どういう点から人に寛容になれること。人の苦しみを想像するクセがついたこと。ハーフに限らないマイノリティの人達と繋がること。多様な社会は楽しくて、ワクワクするものなんだと知ったこと。

ハーフだったからこそ、今の自分になれた。全てを受け止めて、この環境や経験に感謝して生きている。今まで蓋をしてきた想いが、すべて良いエネルギーに変わっていく。毎日がとても楽しくて今はとっても幸せ!