菊陽病院のデイナイトケアでの日本語の文字の数え方の記事を書いたが、今回その場を仕切る人、言い方を変えると、その人だけで「我々」の立場の人に「○○さん「おしょうがつ」は何文字ですか。」との質問をした。


返ってきた答えは何と!!!!


「そんな事、考えた事もない。」


だった。


私の質問は非常にシンプルで日本語学校の4課が終わった生徒に質問しても十分理解できる事で、タスク的には指折り数えるだけの話であり、「5」だとか「6」だとか具体的な数として発話できる内容の質問である。つまり、生活者として西洋人東洋人とわず、大切な数字を扱う内容の質問である。


しかし、


「そんな事、考えた事もない。」


言い方を変えたら

「私には、数を数える能力がない。」


である。


しかし、そんな事はあるはずは無いよね~。世の中に上司は仕事が出来ない方がよい、との意見がある。この「仕事が出来ない」とは本当に出来ないの意味では無く、部下の能力を引き出す為にわざと無駄な努力を見せ付けて「しゃ~ね~な~俺たちががんばるか。」との気持ちを誘うなどの仕事には見えない重要な上司としての仕事の比喩である。逆に上司がやり手だと部下は萎縮して自分の能力を発揮できないし発言もない。独断になり多様性が無くなるのである。

しかし、今回の菊陽病院デイケアの責任者の出来ないふりの行動は人間としての基礎能力の破綻の部分にまで大きく踏み込んでいる。つまり、上記の『仕事が出来ない。」とは一線を画しているのである。

私は無能を装ってまで自分たちのエラーを力ずくで誤魔化そうとする姿勢に哀れさを感じた。


過ちて改めざる 是(これ)を過ちと謂(い)う

人が過ちを犯すことはやむを得ないが、過ちと気づいたらすぐに改めるべきで、改めようとしないことこそ真の過ちであるという教え。