ますなが医院は各ベッドにインターネットが繋げるようになっていて、パソコンを持参したら必要な情報を得る事が出来るのだが、プリントアウトが出来ないので困ってしまった。コンビニにプリントのサービスがあれば良いのだが、それも無い。コピーはあってもパソコンの文字データは出来ない。なので、仕方なく病院のプリンターでプリントアウトしてもらえるか訊いたら「出来ない。」との事・・・・そして、「私たちは病気を調べたり、患者さんに場所の地図を渡すときには使っているけども、私たちも個人のプリントはしません。」と通勤できる、家に戻ればいつでもプリンターにアクセスできる立場の人、生活の場と職場が別々の人から軽々しく言われてしまうのが残念だ。


昨今の情報化社会にプリンターは欠かせない。情報の閲覧はネットからだが、情報の持ち歩きはプリントアウトした紙を介して行われるのが一般的だ。なので、インターネットが出来てもプリンターでプリントアウトが出来ないとなれば、食事を提供されても箸とスプーンは取り上げられるようなものなのである。


ここに来て感じる事なのだが、関東の人の思考の癖なのか相手を言い包める時に主目的を大々的に掲げ、付随行為を切り離す傾向がある。例えば「ダイエットをする為に来たのであって、インターネットをしに来た訳ではない。」や「ここは病院であって宿泊施設ではない」がその例である。ただ、徹底的な現実として、入院しそこで生活する立場を核に考えると、「入院生活」と言う大きな円の中に主目的である「ダイエット」という円が存在しているのであり、ダイエットの円の中には「食事」「運動」があり、ダイエットの円の外には「入浴」だったり、「気晴らし」だったり、情報を得たり人間が人間として過ごす為の要素があるのである。なので、「ダイエットをする為に入院生活をしに来た」のであって、ダイエットだけではないのが現実なのである。そして、長期入院患者の立場では入院は人間らしく生きる生活の場なのでもある。


ぶす犬くーちゃん-1


入院生活をベン図で表現したらこうなりますが、




ぶす犬くーちゃん-2


入院≠生活と認識している場合、しばしばこのような発想となります。


そして、最近は航空券、特にネット経由の格安航空券は全てプリンターから印刷したものがそのまま航空券となってしまう。プリンターで印刷する事じたいが前提で物事が進むものもどんどん増えているのである。


とここまで書いたのだが・・・一方の見方ではインターネットが使えるだけでも幸せだ。との見方もあるだろう。でも、ナースステーションから無線LANで電波を簡易的に飛ばしている訳ではなく、壁に線を張り巡らせ、有線で各ベッドにモジューラーを設けてネットを患者が使えるようにした、言ってみればネットの為に大掛かりな工事までしたのならば、プリンターくらい使えるようにしてもらいたいものです。100の内99まで来ているのです。僅か1万円もしないプリンターを患者用に設置しても良いでしょ。ランニングコストは掛かるけど、私たちは毎日1000円設備費として徴収されているのです。プリンタで印刷くらい良いでしょ。私たちはプリンターへのアクセスが困難なのですから。えっ、プリンターを用意したらって・・・・プリンターは大きいのですよ。スーツケースがプリンターで埋まってしまい、生活道具が運べません。気軽に持ち運びが出来るものならば、熊本から持ってきています。