昨日、熊本にある日本語教師の養成学校の説明会に行ってきた。10月開講で週二回の一年間だ。
最初はこれからの収入に対してのしのぎのつもりだったのだが、話を聞くにつれて、本気で日本語教師になりたくなった。
この養成学校の経営者の思想はなんとなく大塚先生と被る部分がある。日本語教師になるには3つの方法がある。一つは大学の日本語教師の課程を専攻する、一つは日本語養成講座で420時間以上のカリキュラムを受講する。一つは年に一回ある日本語教育能力検定試験に合格する。この中でもよくあるのは安価に受け入れれる限界まで人を受け入れ、短期間に420時間のカリキュラムを強引にこなさせるだけで、とりあえずの需要筋の採用条件の最低限をクリアーさせる為だけの講座だ。そころが、私が体験した場所は420時間のカリキュラムをこなすのは前提として、目標は日本語教育能力検定試験に合格し、日本語を学ぶ外国人を相手にする実習もあり、即戦力のプロとして養成する学校だった。その為に一年間の時間を設けていたのだった。
そして、日本語教師の需要は日本の少子高齢化に伴い、どんどん増える。特に介護、福祉の分野での人材確保を海外まで求めている現状に日本語教育は欠かせない。社会では60歳で定年だが、日本語教師はそんな事は関係なく、元気でさえあればいつまででも仕事が出来る。
日本語教師に大切な事「教えない、説明しない、しゃべらない、わかりますかと言わない」教師は教える事が仕事だと思っていた私には意外な事だったのだが、説明を聞いたら「・・・・それはそうだな・・・・」と思った。相手の自律を促し、学ぶ気持ちに火を付ける。それを助けるのが教師の役目であり、頭ごなしに説明したり、押し付けたりするようなものでは無いのであり、それは、いづれも今までの私に欠けている物だったのだ。
もともと、言葉を学ぶのが好きな私。私が人に対して教え育てる事など身の程知らずなのは判っている。でも、なんとなく、日本語教師を目指す事により、自分自身の内面まで良いほうに変われるように感じた。そして、一年を掛けて身の程を高めようと思う。