南バスターミナルを出発して二時間少し、車掌さんに到着したら教えてもらうために最前列の席を陣取り、ソワソワしていたら、車掌さんがここで降りてとの合図。
バスを降りて、車掌さんが指差した方向へ歩き出した。
それは日本では北海道くらいでしか見ないような一直線の一本道だった。
歩き出したら、途中でバイクに乗っていた人を止め写真を見せて「ワット・ファイロンファ」と聞くと、指をさして、ソウソウみたいな表情、方向はあっているみたいだ、後から付け加えて何か言っているがタイ語なので当然わからない。
「コップンクラッ(ありがとう)」とって分かれたのだが・・・・
進めど進めど・・・小一時間到着しない!!!!
その間、何人のバイクを止めて訊ねたか、みんな同じ表情で指さす。
更に20分歩くと、先ほど止めたおじさんに相方が逆に呼び止められた。
相方は耳が聞こえない。おじさんはそれを察知したのだろう。遅れて歩く私を2人でシゲシゲと見ながら待っていたのだった。
そうしたら英語で10キロもあると言ってきた。相方と行くか引くか相談し、引く事を決めた。
その時、タイの郊外でのバスの乗り方が判明したのだ。
タイ郊外はバス停など無く、バスが来たら適当に手を振りバスが止まるからそれに乗り込むのだった。
これがタイの当たり前、当たり前なのでタイの人は日本も同じ感覚だと無意識に思っていて、詳しくは教えなかったのだろう。
私が乗っていたバスの車掌や私がバイクを止めて訊ねた人たちから「ここからバスに乗り換えろ」と言われていた事が判明したのだ。
我、異国にて日本を知る・・・・
関口知宏の中国鉄道大紀行で発した言葉だ。
日本との違い、日本の当たり前、無意識の行動で私はバス停を探していた。タイの当たり前のそのギャップで逆に日本を知る事に・・・と言うか思い知ったのだった。
私達を気の毒に思ったおっちゃんが乗ってきたバイクで送ると言ってくれた。東南アジアでは三人乗りも当たり前なのだが、流石に太った私を含めて三人乗りは無理だ。相方を先に行かせて、その後に私が行く事にした。
おっちゃんのバイクの後ろに乗り、約5分・・・・南バスターミナルに続く国道に送ってくれると思ったのだが・・・
なんとおっちゃんの家だった。少し怪しいかな・・・・
とも思ったが、私達が歩いた道沿いの家、そんなバレバレの悪事はしないだろうと思いおっちゃんを信用したのだった。
先に到着し、歩きつかれて居た相方はお茶を飲んでいた。東南アジアは睡眠薬強盗もあるから他人からの飲み物の施しは警戒するのがセオリーだ。私一人ならば飲まなかったが、自動的に毒見役になった相方の様子は変化無し。それで安心しておっちゃんの親切に甘えたのだった。
お茶はウーロン茶。湯のみは汚れていたがおっちゃんの親切が嬉しかった。
再度、おっちゃんは「ここからバスで直ぐだ。行ったらどうだ」と訊いてくるが、予定よりも大分時間が経過していた。日が落ちるまでにはバンコクに戻りたかったので、「今日は帰りますが、必ず再度来ます。」と言ったのだった。
そうしたら、おっちゃんはバンコク行きのバス乗りの道に相方を乗せて、戻ってきて次に私を乗せて送ってくれた。
場所は道路沿いの焼き鳥や飲み物を売っている露店だった。そこの人達におっちゃんが事情を話したらその人達も商売そっちのけで珍客の私達に親切にしてくれた。バンコクに早く着くバスと遅く着くバスがあるが、南バスターミナルは遅く着くバスだけだった。
そして、おっちゃんは当たり前の事をしたかの如く、「Good Luck in your travel」と言って家に戻って行った。
私はおっちゃんにチップを渡そうか・・・多分渡したら受け取るだろうが、そんなつもりじゃ無い人にそんな事をするのは逆に無礼かなと思い、家も判明しているし、次訪れた時に何か日本の物を渡そうと決めたのだった。
バスを待つ事40分、遠くでバスが見えた、おばちゃんは慣れた手つきでバスに手を振る。バスは停まった。おばちゃんは南バスターミナルに行くか確認してから私達をバスに導いた。露店の人達と大きく手を振り別れた。
地獄寺には行けなかったが、新しい事、新しい体験。嬉しい出会い。目白押しの一日だった。
親切にしてくれたおっちゃん
ありがとう~~~
おっちゃんがくれた「チョンブー(ローズアップル)」
ヾ(@^▽^@)ノ
露店のおばちゃんが書いてくれた「南バスターミナル」のタイ語
南バスターミナル行きのバス。仏様を置いてある所がタイらしい。運転席の横にはタイの大人気フルーツ、ランブータンが置かれている。