15分後に集合場所に集まった。
後続車を待ちだったのだ。
出発したカオサンには旅行会社が複数社あり、ツアー会社とタイアップで参加者を募集する。そして、ピックアップ場所が異なる為に、出発時点では参加者の総数は私達にはわからないのだ。
参加者全員集合場所がこのお寺だった訳だ。
この日のツアー参加者が全員集合、ツアーの説明があった。ただし英語だったために全部は判らなかった。が、なにか問題があれば注意をしてくれるだろうから、「まーいーや」で聞き流したのだ。
ただし、うっかりしていたら置いてきぼりの可能性はある・・・・私は身体に大きな特徴があり、一発で覚えられる為に、置いてきぼりのトラブルは置きにくいが・・・
ツアーガイドのポクさん。口元の一本伸びた白い髭が印象的だ。
説明が一通り終わり、約30分間、このお寺を見る事になった。
既にある程度見終わっていた私達はブラブラと再度見物をはじめたのだった。
仏塔の中に鎮座されていた仏様。高い仏塔にエンヤコラ登り、人がすれ違う事が難しい程の腰を屈めなければ通れない通路を15メートルほど入った場所に居られます。
仏塔からの眺め
お堂の中のお坊さん。仏様の顔が特徴的でございます。
この仏様の隣のプミポン国王(ラーマ9世)の写真がありました。なんとなく、この仏様の顔が国王の顔に似ていると感じるのは私だけでしょうか。
タイの人の王様に対するラブラブぶりは凄いものがあります。以前のタイの玄関はドンムアン空港でした。そこの入国審査の場所には「WE LOVE KING」と電光掲示板で流れていたではありませんか。日本では決して「WE LOVE EMPEROR」なんてありません。タイの人は王様ラブなのであります。
で、元来、宗教では神の形を表す事はありませんでした。偶然、必然を問わずに運命の不思議さを感じる事は誰でもある事です。その為に神の存在は何となく感じる事は出来るのですが、具体的な形としては判らないし、それを表そうとする事自体そもそもタブーだったのです。
しかし、仏教ではそのタブーを破り人の形をした仏像を作り信仰をしてきました。ただし、人の形はしているが、人と同じであってはならないので、「人を救う」などの機能的な表れとして人には無い水かきを付けたり、ありえない位に腕を長くしたりして人との区別化をしてきました。
その区別化の延長で国王は仏様の発想で王様を仏様としてしまったのかも知れません。
以上、私の勝手な思い込みでした。
寺の境内におられました仏様で御座います。
布袋さまでしょうか。良くわかりません。
この座り方といい、腹の出かたといい、以前、北京のチベット仏教寺の擁和宮にて似た仏様を見た事があります。なにか関連でもあるのかな???
このお寺???或いはこの地域に貢献があった人のお墓かな。寺の入口の目立つ所にこのお墓があったのだ。
この墓を囲むように石で出来た背もたれがある椅子が設置され、雑談が出来るようになっていた。この人を偲ぶ話しでもしているのかもしれない。