セックスは気持ちいいからみんなする。
だから、気持ちがいいからセックスをするのだ。
現実がどうあれ良いと思っている事をした時も気持ちがいい。
だから気持ちがいい思いをしたいから現実がどうあれ良いと思っている事をみんなしたがるのだ。
だからセックスと同じなのだ!!!!
ただセックスと同じというだけならば全く無害で問題は無い。
問題は福祉名目で事を悪化させている現実だ。
その典型がラジオ体操型手話ソングだ。
ラジオ体操型手話ソングとは音楽に合わせてカクカクと膝でリズムを取り、歌詞に合わせて手話の単語を繰り出すだけのパフォーマンスだ。
ろう者は耳が聞こえない、そもそも音楽に合わせる事自体無理なのだ。この時点で「聴者の高揚する福祉の気持ち」と「ろうの科学的な事実」の間に大きな差がある。そして音楽の歌詞に合わせて手話の単語を繰り出してしまうために手話を知らない人達に対して手話は日本語を手で表しているものと勘違いをさせてしまうのだ。手話と日本語は文法が異なる。その差は日本語と韓国語以上の距離がある。日本手話の語順の並びは中国語に近い。しかも両手と顔の表情で一連の文を一発で組み立てるのだ。「手話は独立した言語であり日本語の「手まね」では無い。」
この現実にラジオ体操型手話ソングが追い討ちをかける。
彼らのパフォーマンスが「手話は日本語の手まね」として広めてしまうのだ。
ラジオ体操型手話ソングをやるグループは手話ソングを通して福祉社会の一員としてラジオ体操型手話ソングを披露する事により喜びと快感を追い求め、ラジオ体操型手話ソングを繰り返してしまうのだ。その快感の為にろう者と社会の距離を遠ざけしまっている現実がある以上、「ラジオ体操型手話ソングは福祉の性行為感染症」だと言い切れるのだな。