冬の夕暮れと同時に万里の長城の見物が終わった。

ツアーで訪れる全てが終了した。

全てが中国語に囲まれたツアーだったが、ツアーの参加者に助けられながら仲間として接してくれた全ての人々に感謝した。


北京に向かって車は走る。車の窓から見えた路地の先、群青色の空の下には紅が広がり、僅かな光は子供達が遊んでいる道を照らす。その光景はは二昔前の田舎の日本を思い出す。


僅か日中に行なわれたツアー。決して長くは無いが、私の心の中の一ページを飾る事が出来た。


余韻を引きながら、車は北京に入った。小梅さんが私が泊まっているホテルを訊ねるので、てっきり送ってくれるのかと思ったのだった。

他のツアーの参加者は繁華街で降りた、私は全員に「謝謝」と言いながら手を振り別れたのだ。


私はこのままホテルに行くのかなと思ったら、ホテルに行くのに便利なバス停で下ろされた。

(゜д゜;)

そして、中国語で説明された・・・・

内容は全く判らなかったが、59と数字を書いたので来た時のバス路線の番号と同じであり「あーなるほど」と思いホッとしたのだ。

小梅さんはそのまま歩いて帰宅した。

私はポツンと一人バス停に残された。

そこをリンタクの兄ちゃんは見逃さない。すぐさまよってきたのだ。

海外に慣れた今となっては、普通の勧誘なのだが、その時は日本人の感覚丸出しの私にとってはかなりしつこい勧誘と感じたのだ。断っても断っても「ホテルは何処か」とたずねてくる。何度も「不要」と言っても勧誘をするのだ。この時のやり取りは英語だった。どうやらこの兄ちゃんは大学生で学費稼ぎなのだろう。

そして、ガンとしてバスに乗る意思を通したら・・・

なんと、そのリンタクの兄ちゃんは他のバス待ちをしている人に私が乗るバス停を訪ねて、そのバス停を教えてくれたのだ。

私は日本では考えられない親切に驚き、感動して、「夕飯食べてくれ」と言って10元を渡したのだった。

この時、中国人の心の底を垣間見た気持ちになった。そして、中国残留孤児が何故中国で生きてこれたのか何となく理解出来た。

そして、心の底から中国が好きになったのだ。