長崎の平和祈念式典に参列した。
特に私に遺族がいる訳ではないが、日本が終戦のきっかけとなった惨劇の日に行われる式典に日本人として参加したくなった。
ユースホステルを後にして、平和公園に向かう途中でピースサイクリストに遭遇した。
平和公園に向かう電車は混んでいるが、みなどことなく物静かだ。
平和公園に到着、式典会場に向かう途中に平和の泉にであった。
「のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。
どうしても水が欲しくて
とうとう油の浮いたまま飲みました。」
夏の暑い日の59年前の今日の出来事だ。今平穏なこの場所に立っているだけでも水が欲しくなるのに、この文を書いた少女の気持ちは筆舌に尽くしがたい気持ちがあったであろう。この碑文に平穏な世の中のありがたさを知った。
式がはじまった。粛々と進行する。11時2分黙祷と同時にサイレンがなる。59年前の今この真上で原爆が炸裂したのだ。
今、日本はとりあえず平和だ。しかし、世界ではあちこちで紛争が耐えない。
戦争をやる国は何を得ようとするのだろう。巨額の軍事費を援助にまわせばどれだれの人が救われるだろうか。争うの先には必ず失う物がある。戦争が行われている国は失う物がなければ平和のありがたさは実感できないのだろうか。
戦争で失う物を雄弁に伝える場所、伝える日にて考えされられた。