ようこそインターネットステーション泉中央へ、
このブログは、私こと源 住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。
今回も前回の続きで、4/2にたちよりました、宮城県柴田郡柴田町の
しばた桜まつり2023の話題の第3回目(ラスト)、
伊達家のお家騒動(寛文事件)にスポットをあててみたいと思います。
伊達家のお家騒動に関しては、宮城県民の多くが聞いたことが、
あるかと思いますが、簡単に申し上げれば、伊達家の幼い
4代目の藩主、亀千代(後の綱村)の後見役だった伊達兵部と、
その兵部の藩運営に批判的な家臣たちの対立によって巻き起こった
騒動なのである、、そんなわけでまずは、You tubeで発見した、動画を
ご覧いただきたいと思います。
いかがでしたか?原田甲斐の刃傷沙汰のために
ちょっとわかりにくい決着となりましたが、ともあれ
船岡城址でみかけた事件にまつわるものを見てゆきたいと
思います、、まずはこれが船岡城址に向かう駐車場付近で
見かけた大手門跡に関する立て看板です!
次の4枚が、二の丸のあたり!
次の4枚が、船岡城址の山頂にあります供養塔に関するもので
左側が柴田外記で、右側が原田甲斐です!
いかがでしたか?次の2枚が、おまけで、
山頂から見下ろした桜の景色です!
そして最後は、山頂からいくらか坂を入りた所にあります、
樅の木展望デッキのあたりで見かけた話題ですが、
まずは、3枚の伊東七十郎の辞世の碑からです。
ちなみに伊東七十郎は、伊達兵部を殺そうとして失敗して、
斬首となった方です!
次の7枚が樅ノ木のあたりで見かけたものです!
山本周五郎原作の「樅ノ木は残った」では主人公の原田甲斐は、藩を救おうとして
命を落としたように描かれているみたいですが、一搬的には、伊達兵部に
見方する悪人との噂があるのですが、真相はどうなのだろうか?という感じです。
そして最後は、この場所から見下ろした際の桜の景色です!
とても桜が綺麗で、まるで伊達家のお家騒動に関わった方々の
魂を慰めているのではないか?とふと思ってしまいました。
これで写真については以上です。
お別れは、前回に引き続き私自身のオリジナル曲「風の中」を、
ご覧いただきたいと思います。
本日はここまでにいたしましょう。
それでは次回のインターネットステーション泉中央、小さな旅日記Ⅱをお楽しみに。。。。