~ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ~ | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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 (今回はちょっとまじめに書こうかなぁ… )。

私も含め個人に於いて1人や2人、尊敬なり敬愛する人物が在るのではないだろうか?。もちろん両親や恩師、自身が身を置く組織の人間など、身近な存在もその対象であるのだが、ここでは歴史上の人物にスケールアップして挙げてみたいと思う。

 
…ずっと以前、渡辺昇一氏の[ドイツ参謀本部]という著書を手にしたのだが、本書の後半に登場するヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケという人物に、その偉大さとこれまでにない魅力を感じた。

彼は1800年、ドイツ北東部・バルト海沿岸に位置すメクレンブルク:シュバーリン公国のパルヒムに生まれる。
幼少期より父の事業(農場経営)の失敗などもあり一家の生活は困窮を余儀なくされた。それゆえモルトケは考古学者になりたかったというが貧しさがそれを許さず、やむなく陸軍幼年学校に進むこととなる。

彼が最初に在籍したのはデンマーク軍であったが、ナポレオン戦争に勝利したプロイセン軍に憧れと将来性を感じ、士官採用試験を受験、成績優秀を認められプロイセン軍少尉として移籍を果たしている。
その後プロイセン陸軍大学を経て参謀本部に配属、この時期に書かれた論文「デンマーク陸海軍について」は国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に称賛されている。

1836年、モルトケはトルコ軍軍事顧問の1人として軍の教育・編成にあたるが然したる改革にはならなかった。
そして1839年のエジプト・トルコ戦争に砲兵隊指揮官として従軍したものの勇戦虚しく敗走している。しかしこの敗戦経験はモルトケの大いなる財産となったようだ。

その後のモルトケは1840年・ベルリン第4軍団参謀に就任、1845年・ハインリヒ王子付:侍従武官、1855年・フリードリヒ付:侍従武官、そして1858年・参謀総長に就任している。

モルトケは総長就任に伴いプロイセン参謀本部の組織構造改革を行っている。彼は組織の部門整理と・再構成を行い、加えて当時最先端の技術であった鉄道・通信網の敷設・整備を精力的に進めている。
特に新技術の導入に躊躇ない彼の姿勢は、彼自身が歴史的戦術論や既成概念に縛られない思考の持ち主だったことが伺える。

そうしたモルトケの指揮系統改革と戦術的整備は、後の摂政ヴィルヘルム王子による軍制改革と相まって最大限有効に働くのである。
また1861年、ヴィルヘルム王子がヴィルヘルム1世として即位した後には陸軍大臣にローンを配し、ローンと共にビスマルクを宰相に就任させた。この人事により後になされるドイツ統一への中心人物が歴史の表舞台に表記されるのである。

ビスマルク、ローン、モルトケはまさにプロイセンの鼎であったと言えよう。
対デンマーク戦争、対オーストリア戦争、そして対フランス戦争と内政・外交で手腕を発揮したビスマルクをモルトケは軍事戦略・戦術という現実面で勝利という事実をもって支え続けたのである。

 
………[ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ]
時代が時代だけに、現代に生きる私などには物騒極まる‘言‘を残したりもしてはいるが、その人物像は頭脳明晰な上、沈着冷静な判断と行動に終始し、しかも文学的活動に対しても労力を惜しまなかった。
最後には軍隊における最高位・元帥にまで上り詰めたにもかかわらず、おごりもせず90歳をもって人生を全うした。

モルトケの出発点は決して恵まれたものではなかったが、しかし努力と根気、常に自身を客観視しつづけたその姿勢には大いに学ぶところがあると私は思う。

昨今の日本では企業の体質や組織構造の腐敗、トップの無能ぶり(例えば、〇〇電力とか…)やはたまた国政を司る官僚や政治家の小人化といった人材の枯渇が著しいように感じられる。

こういった状況を見るにつけ、モルトケのような大人物に羨望の思いを向けるのは私だけだろうか………。