60年安保
60年安保反対のデモ隊
以前も「東京育ちと学生運動」で述べたが、「都市圏出身者が盲目的に学生運動にハマることは少なかった」と感じていた。60年と70年の安保条約改定の時にはマスコミの煽動もあり、それぞれ10万人規模デモで国会を取り囲んだ。
 
60年安保では、当時の岸信介首相が「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には声なき声が聞こえる」と述べた。岸の「声なき声」とはサイレント・マジョリティを指したものだ。
 
岸信介は国会混乱で引責辞任したものの、実際にその年の第29回衆議院議員総選挙では自民党296議席(63.4%)と大勝した。一方安保反対の社会党145議席(31.0%)、共産党3議席(0.6%)に止まった。
 
昭和35年(1960年)の60年安保は中学生、昭和45年(1970年)の70年安保は大学生だったのだが、当時の世相を知るひとりとして、印象的に「東京育ち」の学生が少なかったように思えていた。
 

 
何気なくYuoutubeを見ていたら、芦川いづみ石原裕次郎の「あいつと私」がお勧めに出てきた。
 
元々ヘソ曲がりで、看板スターの映画に興味は薄いほうだ。原作が石坂洋次郎とのことで、たまには大衆文芸を読むつもりで観始めた。
 
芦川いづみさん/映画「あいつと私」石原裕次郎 団だ段3さん
 
昭和36年(1961年)の作品で、轟夕起子や滝沢修、小沢昭一、中原早苗、吉行和子、高田敏江、吉永小百合、酒井和歌子が脇を固めていた。戦後の大学生気質で、スポーツカーで学校に通う裕ちゃんと芦川いづみが恋に落ちる青春ストーリーだった。
 
理屈っぽいセリフと狂言回しの演技には少なからず違和感を感じるが、小説を読んでいると思えば我慢ができる。
 

 
漫然と見ていると背景に60年安保と学生運動の実態が描かれいた。昭和34年(1959年)明仁皇太子殿下(現、上皇陛下)のご成婚を機にテレビが家庭に普及し始めた時代で、思った以上にリアルな時代背景が浮き彫りになっていることに驚いた。
 
あいつと私
芦川いづみと石原裕次郎 日活「あいつと私」より
 
昭和32年(1957年)に売春防止法が施行され「戦後強くなったのは靴下と女性」と言われた時代の出来事。女性の大学進学率も次第に増加していた。
 
騒乱の先頭で踊らされていたのは、純朴な地方出身者が多かったこと。60~70年代の女性闘士の語り口や振る舞いもそのまま。子供たちは「安保反対」とおどける姿。劇中バケーションを楽しむ学生たちに「安保がどうしたアンポンタン」と詰め寄る粗暴な工事人夫。…
 
当時を経験した人なら、一々うなづける情景でしょう。マスコミの煽動で、口先で「安保反対」などと言いながら、一方で本質を見抜いていた当時の大多数の人々が見事に描かれている。
 

 
29回総選挙
第29回衆議院議員総選挙 昭和35年(1960年)11月
33回総選挙
第33回衆議院議員総選挙 昭和47年(1972年)12月
その後、昭和43年(1968年)渋谷、新宿騒乱事件、成田三里塚闘争などを経て、70年安保では過激化が一段と進んだ。結局、安保騒動などの騒乱が国政に反映したことはなかった。平成3年(1991年)年にソビエト共産党が崩壊して、左翼活動家は大きな支柱を失った。
 
老いた活動家たちは、を失い、中国共産党や朝鮮労働党にすがり付き、現在の沖縄県辺野古へのこ、広島県百島ももしま、北海道白老町しらおいちょうウポポイなど、活動場所を変えながら、60~70年代の見果てぬ夢を引きずっている。
 

 
改めて思い起こすと、当時左傾化する映画界やマスコミには決して登場しない、ありふれた世相を映した数少ないこの作品に敬服した次第です。
 
 
 
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