※Yahooからアメブロに引越して<2016年08月21日10時21分19秒>に作成した記事の不具合を修正しての再投稿です。
明治末期から昭和初期に活躍した演歌師の添田唖蝉坊 ですが、ダイナマイト節で評判になり、まっくろけ節、ノンキ節、ゲンコツ節などが庶民の間で歌われた。
平民新聞の堺利彦の依頼を受け、「ラッパ節」の改作である「社会党喇叭節」を作詞。日本社会党の結成とともにその評議員になるなどした。そして彼の「社会党喇叭節」は、社会主義伝道のために使われた。
今風にいえば、左傾化したタレントさんと云ったところかも知れない。言換えれば社会主義者に利用されていたとも考えられる。
その一方で、「どうせ浮世 は出鱈目 だ」というのが口癖があった。添田唖蝉坊の様々な歌詞を見れば、芸人や歌手に有りがちな「純粋な反骨精神」だけで、特定のイデオロギー色は感じられない。
曲はヘンリ・クレイ・ワークによって作曲された「ジョージア行進曲」(Marching Through Georgia)が使われた。このメロディは、当時、救世軍などの街宣演奏に使われていたようだ。
社会主義冬の時代に生活費を稼ぐため設立された「売文社」に、親の影響で勤めていた息子の添田知道(添田さつき)は、ジョージア行進曲のメロディに19歳で、世相や情景を織り込んで「東京節」の歌詞を付けた。1918年(大正7年)に発表すると巷 に「パイのパイのパイ」が流行した。
添田唖蝉坊と添田さつきは、一見、社会主義者のように言われがちだが、世相や人物を風刺することで、思想の左右に関わらず「浮世 は出鱈目 」精神で批判を加えていたようだ。これこそ我が国の国益を考えた、日本人の真骨頂と言えるのかも知れない。
東京節に続いて、新しい歌詞を付けた「平和節」をベースにして、現代に合わせた歌詞を付けてみました。
到底及びもつかないが、添田さつきなら、現代の世相を見て、こんな歌詞を付けるかな…と想像してみました。
平和ぼけ節
原曲 ヘンリ・クレイ・ワーク「Marching Through Georgia」
編曲 添田さつき
改竄 南風亭四局
- めでたい めでたい おめでたい。
憲法九条で、おめでたい。
軍隊のない国、おめでたい。
君が代ダンマリ、国旗ダメ。
いざ祝へ みんな祝へ。
お花畑で おめでたい。
日本が一番おめでたい。
アメリカさんの憲法で、
パイノ、パイノ、パイ 。
チョウチョもヒラヒラ、
フライ、フライ、フライ。
- 日本の平和は、どうなるか。
烏合 の衆 が、集まって。
国会開きて、駄々 こねる。
スッカリ国民、そっちのけ。
テレビ映りに、人気取り。
上げ足、大声 、忙しや。
餓鬼 のケンカじゃあるまいし。
代議士サンは欲張リ、
パイノ、パイノ、パイ 。
票読み、ばっかり、
フライ、フライ、フライ。
- 世界の平和は、どうなるか。
国益 どうしの、騙 し合い。
勝ち組、常任、理事国へ、
ドサクサ紛 れに、手を挙 げて、
ゆすり、たかりに、おねだりで、
権利もないのに、すり替わる。
ちゃっかり居座 り、知らん振 り。
ナンチャッテの、戦勝国 、
パイノ、パイノ、パイ 。
被害者、ビジネス。
フライ、フライ、フライ。
- 平和、平和と、
唱 えても。
糞 の役にも、立ちゃしねェ。
気を許してたら、攻め込まれ。
誰かが助けて、くれるやら。
他人のふんどし、相撲 取り、
鍵 をかけるの、忘れたら。
身ぐるみ剥 がされ、手遅れだ。
ラメちゃんたらギッチョンチョンで。
パイノ、パイノ、パイ 。
パリコとバナナで。
フライ、フライ、フライ。
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添田さつきは、実演があまり得意でなかったようで、喜劇王の榎本健一(エノケン)などが浅草オペラで取り上げた。