戦後のウェスタン・ブームに乗って、ジミー時田小坂一也寺本圭一などが人気を集めた。そうした中に北原謙二城卓矢も参加していた。
 
国境標
北緯50度の国境を警備する警察官 wikipedia
城卓矢は、昭和35年(1960年)テイチクレコードと契約して菊地正夫としてデビューした。昭和37年(1962年)出生地の樺太(ロシア名:サハリン)をテーマに。実兄の北原じゅんが作詞、作曲した「ふるさとは宗谷の果てに」をリリースした。
 
ソ連は終戦時のドサクサで樺太を占領した経緯もあって、当時はソ連の影響を強く受けていた放送局には無視されて、メディアに取り上げられることはなかった。後に、大スターの西郷輝彦がこの曲をカバーして広く知られるようになった。
 
上京した菊池正夫(城卓矢)は、ヨーデルの一人者ウイリー沖山に師事したこともあり、この曲も大ヒットとなった「骨まで愛して」もウェスタン・ヨーデルの歌唱法を盛込んだ歌い方が特徴だ。
 
生まれ故郷を追われた樺太住民の心情をカントリー&ウェスタン調調の歌にしている。特に3番の歌詞に「北は遠く北緯五十度」とあるが、樺太生まれでもない者でも、このフレーズが耳から離れない。
 
 
ふるさとは宗谷の果てに / 菊池正夫 - Elwood Yodogawaさん
 
歌の上手い西郷輝彦バージョンも良いが、オリジナル盤の菊池正夫(城卓矢)のカントリー&ウェスタン調は情感がこもっていて圧巻だ。しかし城卓矢の全曲集やベストアルバムからも外され、未だにYoutubeでしか聴けないのが残念でならない。
 
ふるさとは宗谷の果てに(昭和37年)

作詞・作曲:北原じゅん
歌手:菊地正夫
 
  1. ふるさとは 宗谷そうやの果てに
    遠くかすんで 今もなお
    ちいちゃな頃の 思い出のせて
    かすかに浮ぶ 樺太からふとの島
     
  2. 生れ故郷の ない淋しさを
    星よお前は 解っておくれ
    二度と帰れぬ ふるさとは
    今も変らず いるだろか
     
  3. 雪の山々 氷の川よ
    鈴をならして そりは走る
    北は遠く 北緯五十度
    もう帰れない ふるさとよ
    もう帰れない ふるさとよ
    もう帰れない ふるさとよ

 
北国の情景が浮かんでくる素晴らしい歌詞の中に「樺太」と云う言葉が一度だけ出てくる。NHKをはじめ放送局は、この曲が何故ダメだったのだろうか?
 
北方領土は未だに解決していないが、日露間で平和条約が締結されていないので、国際法上は北緯50度以南(南樺太)は帰属未定地となっているようだ。
 
国後、択捉、歯舞、色丹の北方四島も同じだが、生まれ故郷に戻れないことは、元住民にとって悲劇としか云いようがないだろう。
 
元々、江戸の末期に結ばれた不平等条約「日露和親条約」で失った樺太を日露戦争の結果取り戻した。昭和20年(1945年)日本がポツダム宣言を受諾後、ソ連が武装解除した日本に襲いかかって占領した。
 
樺太では、村山三男監督の「氷雪の門」に描かれた真岡電話局の女性交換手の悲劇、ソ連軍の潜水艦の攻撃で1,708名以上が犠牲になった「三船殉難事件」など、相変わらずマスコミは触れたがらないようだ。
 
ヨシフ・スターリンの強引な外交と、ハリー・トルーマン米大統領の曖昧な対応が生んだ悲劇なのだろうが、政治に関係のない一般国民にとっては大迷惑で、未だに尾を引いている。
 
そう云えば、今現在(令和2年)日本の国会議員にも「ヨシフ」という方がいますね。
 
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