城卓矢は、昭和35年(1960年)テイチクレコードと契約して菊地正夫としてデビューした。昭和37年(1962年)出生地の樺太(ロシア名:サハリン)をテーマに。実兄の北原じゅんが作詞、作曲した「ふるさとは宗谷の果てに」をリリースした。
ソ連は終戦時のドサクサで樺太を占領した経緯もあって、当時はソ連の影響を強く受けていた放送局には無視されて、メディアに取り上げられることはなかった。後に、大スターの西郷輝彦がこの曲をカバーして広く知られるようになった。
生まれ故郷を追われた樺太住民の心情をカントリー&ウェスタン調調の歌にしている。特に3番の歌詞に「北は遠く北緯五十度」とあるが、樺太生まれでもない者でも、このフレーズが耳から離れない。
ふるさとは宗谷の果てに / 菊池正夫 - Elwood Yodogawaさん
歌の上手い西郷輝彦バージョンも良いが、オリジナル盤の菊池正夫(城卓矢)のカントリー&ウェスタン調は情感がこもっていて圧巻だ。しかし城卓矢の全曲集やベストアルバムからも外され、未だにYoutubeでしか聴けないのが残念でならない。
ふるさとは宗谷の果てに(昭和37年)
作詞・作曲:北原じゅん歌手:菊地正夫
- ふるさとは
宗谷 の果てに
遠くかすんで 今も尚
ちいちゃな頃の 思い出のせて
かすかに浮ぶ樺太 の島
- 生れ故郷の ない淋しさを
星よお前は 解っておくれ
二度と帰れぬ ふるさとは
今も変らず いるだろか
- 雪の山々 氷の川よ
鈴をならして橇 は走る
北は遠く 北緯五十度
もう帰れない ふるさとよ
もう帰れない ふるさとよ
もう帰れない ふるさとよ
北国の情景が浮かんでくる素晴らしい歌詞の中に「樺太」と云う言葉が一度だけ出てくる。NHKをはじめ放送局は、この曲が何故ダメだったのだろうか?
北方領土は未だに解決していないが、日露間で平和条約が締結されていないので、国際法上は北緯50度以南(南樺太)は帰属未定地となっているようだ。
国後、択捉、歯舞、色丹の北方四島も同じだが、生まれ故郷に戻れないことは、元住民にとって悲劇としか云いようがないだろう。
ヨシフ・スターリンの強引な外交と、ハリー・トルーマン米大統領の曖昧な対応が生んだ悲劇なのだろうが、政治に関係のない一般国民にとっては大迷惑で、未だに尾を引いている。
そう云えば、今現在(令和2年)日本の国会議員にも「ヨシフ」という方がいますね。