昭和14年(1939年)9月、日ソがノモンハン事件、ドイツ軍のポーランド侵攻が勃発し、国際緊張は高まり日本軍の総力戦を経済面から研究するために、陸軍省軍務局軍事課長の岩畔豪雄大佐が中心となって陸軍省経理局内に研究班が設けられた。
 
これが「陸軍省戦争経済研究班」であり、表向きには「陸軍省主計課別班」と呼称し、作成した資料のほとんどは陸軍省主計課別班として陸軍中枢部に提出された。
 
陸軍中野学校の設立を行い、登戸研究所などにも強く関与した岩畔豪雄大佐の元で、秋丸次朗中佐が率いた事から秋丸機関とも呼ばれた。
 

 
秋丸次朗 有沢広巳 武村忠雄 中山伊知郎 宮川實 名和田政一 蝋山政道
陸軍省主計課
秋丸次朗
英米班
有沢広巳
独伊班
武村忠雄
日本班
中山伊知郎
ソ連班
宮川實
南方班
名和田政一
国際政治班
蝋山政道
秋丸次朗は、陸軍経理学校に入校して会計経理の専門教育を受ける。陸軍高等経理学校を卒業後、東京帝国大学経済学部の選科生として修了した。満洲では、満州航空会社の会計監督官を経て、関東軍参謀付となる。当時、国務院総務次長の岸信介や満州重工開発総裁の鮎川義介とも親交があったようだ。昭和14年(1939年)、岩畔豪雄大佐の元で、陸軍省に経済戦研究班を創設して、班長となった。
 
「陸軍省戦争経済研究班」は、当時の経済学者らが集められ、英米班主査・有沢広巳、独伊班主査・武村忠雄、日本班主査・中山伊知郎、ソ連班主査・宮川實、南方班主査・名和田政一、国際政治班主査・蝋山政道が中枢を担った。
 

 
終戦の混乱で、関係資料の大半は焼却または散逸してしまったようだが、研究者の方々の努力で御遺族や古書店などから徐々に集まっている。
 
独逸 伊国
獨逸經濟抗戰力調査 -静岡大学附属図書館蔵 伊國經濟抗戰力調査 - 国立国会図書館デジタルコレクション
そうした中に、昭和16年(1941年)7月調整、第3号「独逸経済抗戦力調査」、昭和16年(1941年)12月調整、第33号「伊国経済抗戦力調査」がある。前年に結ばれた日独伊三国同盟の相手国だが、経済的には楽観視していなかったようだ。
 
ドイツの経済面から見た抗戦力の判決(結論)は、資料『独逸経済抗戦力調査』「判決」を牧野邦昭(摂南大学経済学部准教授)『独逸経済抗戦力調査』(陸軍秋丸機関報告書)から引用する。判決理由は省略。
  • 一、独ソ開戦前の国際情勢を前提する限り、独逸の経済抗戦力は本年(一九四一年)一杯を最高点とし、四二年より次第に低下せざるを得ず。
  • 二、独逸は今後対英米長期戦に堪え得る為にはソ聯の生産力を利用することが絶対に必要である。従つて独軍部が予定する如く,対ソ戦が二ヶ月間位の短期戦で終了し、直ちにソ聯の生産力利用が可能となるか、それとも長期戦となり、その利用が短期間(二、三ヶ月後から)になし得ざるか否かによつて,今次大戦の運命も決定さる。
  • 三、ソ聯生産力の利用に成功するも、未だ自給態勢が完成するものに非ず、南阿への進出と東亜貿易の再開、維持を必要とす。
 
また「独逸経済抗戰力調査」では「北進論」、「南進論」に触れて、
 
一方我国は独ソ開戦の結果,やがてソ聯と英米の提携が強化されるにつれ,完全の包囲態制に陥る.この包囲態勢の突破路を吾人は先づ南に求む可きである.その理由とするところは
  1. 我国の経済抗戦力の現状からして北と南の二正面作戦は避く可し。
  2. 北に於ける消耗戦争は避け、南に於て生産戦争、資源戦争を遂行す可し。
  3. 南に於ける資源戦により短期建設を行ひ、経済抗戦力の実力を涵養し、これによつて高度国防国家建設の経済的基礎を確立す可し。
  4. 実力が涵養されれば自づと北の問題も解決し得る。
  5. 更に南方に於ける世界資源の確保は,単に反枢軸国家に対してのみならず、枢軸国家に対しても、我が世界政策の遂行を容易ならしむ。
 

 
我が国と英米との抗戦力の格差は20倍にもおよんだようで、秋丸機関は「消費戦争は避け、生産戦争、資源戦争を遂行すべし」と云っている。統計経済学の面から具体的に「英米の弱点」を調査、分析して対応方法を報告した。
 
英米1 英米2
英米合作經濟抗戰力調査(其一)
東京大学経済学図書館所蔵資料
英米合作經濟抗戰力調査(其二)
東京大学経済学図書館所蔵資料

 
「英米合作経済抗戦力調査(其一)」には、判決(結論)として以下のことが記されている。この判決(結論)は「其一」と「其二」を要約したものである。
  • 一、英本国の経済国力は動員兵力400万=戦費40億ポンド(鎊)の規模の戦争を単独にて遂行すること不可能なり。その基本的弱点は労力の絶対的不足に基づく物的供給力の不足にして、軍需調達に対して約57億5000万ドル(資本償却等を断念しても32億5000万ドル)の絶対的供給不足となりて現る。
  • 二、米国の経済国力は動員兵力250万=戦費200億ドル(弗)の規模の戦争遂行には、準軍事生産施設の転換及び遊休施設利用のため、動員可能労力の60%の動員にて十分賄い得べく、更に開戦一年ないし一年半後における潜在力発揮の時期においては、軍需資材138億ドルの供給余力を有するに至るべし。
  • 三、英米合作するも英米各々想定規模の戦争を同時に遂行する場合には、開戦初期において米国側に援英余力無きも、現在のごとく参戦せざる場合はもちろん、参戦するも一年ないし一年半後には、英国の供給不足を補充してなお第三国に対し軍需資材80億ドルの供給余力を有す。
  • 四、英本国は想定規模の戦争遂行には軍需補給基地としての米国との経済合作を絶対的条件とするをもって、これが成否を決すべき57億5000万ドルに達する完成軍需品の海上輸送力がその致命的戦略点(弱点)を形成する。
  • 五、米国の保有船腹は自国戦時必要物資の輸入には不足せざるも援英輸送余力を有せず。したがって援英物資の輸送は英国自らの船舶によるを要するも、現状において既に手一杯の状態にして、今後独伊の撃沈による船舶の喪失が続き、英米の造船能力(最大限41年度250万トン、42年度400万トン)に対し喪失トン数が超えるときは、英の海上輸送力は最低必要量1100万トンを割ることとなり、英国抗戦力は急激に低下すべきこと必定なり。
  • 六、英国の戦略は右経済抗戦力の見地より、軍事的・経済的強国との合作により自国抗戦力の補強を図るとともに、対敵関係においては自国の人的・物的損耗を防ぐため武力戦を極力回避し、経済戦を基調とする長期持久戦によりて戦争目的を達成するの作戦に出づること至当なり。
  • 七、対英戦略は英本土攻略により一挙に本拠を覆滅するを正攻法とするも、英国抗戦力の弱点たる人的・物的資源の消耗を急速化するの方略を取り、空襲による生産力の破壊および潜水艦戦による海上遮断を強化徹底する一方、英国抗戦力の外郭をなす属領・植民地に対する戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、かつ英本国抗戦力の給源を切断して英国戦争経済の崩壊を策すこともまた極めて有効なり。
  • 八、米国は自ら欧州戦に参加することを極力回避し、その強大なる経済力を背景として自国の軍備強化を急ぐとともに、反枢軸国家群への経済的援助により抗戦諸国疲労に陥れ、その世界政策を達成する戦略に出ること有利なり。これに対する戦略はなるべく速やかに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗に導き軍備強化の余裕を与えざるとともに、自由主義体制の脆弱性に乗じ、内部的撹乱を企図して生産力の低下および反戦気運の醸成を図り、あわせて英・ソ連・南米諸国との本質的対立を利してこれが離間に務めるを至当とす。
 
海上兵站の困難な英国の脆弱性と、米国民の反戦世論を利用して戦意喪失を謀る。また英米植民地の資源確保を困難にすることで、短期間で戦争終結に向かわせる。
 
参考までに「英米合作経済抗戦力調査(其一)」の「附録統計圖表」として、以下の簡単にまとめたフロー図が添付されている。パソコンなどない時代に、必死にまとめた手書きのフローは、作成者たちの生々しささえ覚える。
 
01 02
英國物的供給力(6.21 MB)英國勞働供給力(6.48 MB)
03 04
英國輸入力(6.58 MB)米國物的供給力(6.08 MB)
05 06
米國勞働供給力(6.41 MB)米國輸入力(6.04 MB)
07
英米合作經濟抗戰力(6.69 MB)

 
「英米合作経済抗戦力調査(其二)」は「其一」を補強する資料が中心である。「其二」の例言には、以下の記述がある。
 
  1. 本調査は報告第一号調査英米合作による経済抗戰力の大いさの測定に関聯して、その構造上における弱点を確認し、その弱点の性格を検出してその全関聯的意義を開明することにより経済抗戰力を究明するに在り。
  2. 本調査においては資料の出所を明示してない。これは本調査の附属調査たる基礎材料英國編および米國編において資料の出所が明示せられてゐるからである。
 
また「英米の弱点」について次のように記述されている。
 
米は電力の自給力を十分有し、援英物資の生産に関しても弱点でないこと、米国の過剰の石油は英国の不足を補って余りあること、英米合作すれば、ほとんどの冶金工業は自給力を有することなど、イギリス単独では弱点と言える場合でも、アメリカとの合同で考える場合には弱点を見つけることができていない。
しかし、島国であるイギリスの地理的条件は弱点である。すなわち鉄、スクラップ、鉄鉱石、ボーキサイトなどは欧州から供給されており、その他の工業原料および食糧品が遠隔地から船舶によって輸送されていることが弱点である。英本土の抗戦力を維持するためには輸送力を確保する必要がある。
輸送路は、大西洋ルート、地中海ルート、シンガポール・オーストラリアルートであり、シンガポール・オーストラリアルートは日本の南方進出によって危険にさらされることになる。これに加えて、英米合作しても、船舶数の不足と船員の不足が弱点となる。
船舶の撃沈が激増すればこれらの弱点が表面化してくると思われる。この弱点を補強しうるのは米国の造船能力の拡大だけである。
 
これ程、我が国の戦争指導部は解っていたにも関わらず、何故、「真珠湾攻撃」で米国を本気にさせてしまったのだろうか?
 

 
「英米合作経済抗戦力調査(其一)」および「英米合作経済抗戦力調査(其二)」その他関連資料を研究したノンフィクション作家で戦史研究家の林千勝は次のようにまとめている。
 
  1. 米国との戦争は極力避ける
  2. 統制経済により、資源を軍備に集中させる
  3. 主戦場を太平洋ではなく、インド洋に設定する
  4. 英国の敗北により、戦意を喪失した米国と早期に講和する
  5. 講和後、日本は大東亜共栄圏の維持・発展を図り、自国の資源不足を補う
 
更に林千勝は、「日米開戦 陸軍の勝算」 (祥伝社新書)で「秋丸機関」の中で次のように述べている。
 
近代史を研究する著者は「陸軍省戦争経済研究班」の報告書を詳細に調査し、少なくとも陸軍は、科学性と合理性に基づいて開戦に踏み切ったことを知る。「秋丸機関」と呼ばれた研究班は、第一級の英才を動員し、英米の経済力を徹底研究。報告書は大本営政府連絡会議に上げられたのだった。報告書の真相は戦後、意図的に歪曲化され、闇に葬られた。
 

 
メンバーの中には、企画院事件に関与したり、マルクス主義に漬かった学者も居たようだ。しかし日本が戦争に向かう危機的な状況の中で、右も左もなく自国の国益を考えていたように強く感じた次第だ。
 
戦後70年を過ぎて、ようやく「ヴェノナ文書」、ソ連崩壊での機密文書の流出など、歴史的一次資料が白日の下に出始めた。フーバー回顧録「裏切られた自由」など、歴史的証言も明らかになり、我が国でも手軽に読むことが出来るようになった。
 
この秋丸機関の報告書も研究者の努力によって明らかになった。インターネットの普及と共に、もはやマスコミの世論誘導による影響も限定的にっている。今更、マスコミのラウド・スピーカーに耳を傾ける人も少なくなっている。
 
秋丸機関の報告書は過去の研究成果であった。結果的には経済学者の主張とは真逆で、インド洋ではなく太平洋に手を伸ばした。そして米国を本気にさせ、日本が最も避けるべき「消費戦争」に向かってしまった訳だ。ただ打ち勝つ事より、敗けないための為政者たちの知恵と工夫が惜しまれてならない。
 
 
 
 
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