終戦直後の昭和20年、危機的な食糧難の中で、戦後第1号として大ヒットしたのが「リンゴの唄」だ。レコードは翌、昭和21年〈1946年〉1月に日本コロンビアから発売された。ほとんどの国民が食うや食わずの時代である。
昭和20年〈1945年〉10月11日、戦後映画の第1号「そよかぜ」(松竹大船)が封切られ、その主題歌及び挿入歌として発表された。
ヤミ市の溢れる荒んだ街角や、焼け跡のバラックに、リンゴの唄が一筋の夢を与えてくれたことは間違いない。当時のラジオでも、この曲は連日流されたようだ。
極度な物資不足とハイパー・インフレの中から、日本人が復興する切っ掛けとなった応援歌でもあった。
リンゴの唄 - 並木路子、霧島 昇 (1946) - uchukyoku1さん
特筆すべきは、uchukyoku1さんの動画はSP版を巧みに再生して、特有のノイズも少なく大変聞きやすい。
リンゴの唄(昭和20年)
作詞:サトウハチロー作曲:万城目正歌手:並木路子、霧島昇
- 赤いリンゴに 口びるよせて
だまってみている 青い空
リンゴはなんにも いわないけれど
リンゴの気持は よくわかる
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
- あの娘よい子だ 気立てのよい娘
リンゴによく似た かわいい娘
どなたが言ったか 嬉しいうわさ
軽いクシャミも とんで出る
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
- 朝のあいさつ 夕べの別れ
いとしいリンゴに ささやけば
言葉は出さずに 小くびをまげて
あすもまたネと 夢見顔
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
- 歌いましょうか リンゴの歌を
二人で歌えば なお楽し
みんなで歌えば なおなお嬉し
リンゴの気持を 伝えよか
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ
歌詞は大正ロマンを彷彿させるが、サトウハチローらしく平易な表現で現代人にも解り易い。たまに聴いてみると明るい気持ちになる。
戦前の並木路子は、松竹少女歌劇学校から「松竹歌劇団」で活躍した。海軍の父親とその次男を戦争で失い、昭和20年〈1945年〉3月10日の東京大空襲で母親を亡くし、自身も左目を痛めて後遺症となった。