この「九段の母」を軍国歌謡とレッテル貼りをする向きもあるが、そもそも「軍国歌謡」などと云う言葉は「従軍慰安婦」、「性奴隷」、「戦犯旗」などと同様に、戦前を知る世代が少なくなってから、戦後に意図的に新造された言葉である。
軍国の「母」とまで揶揄される「九段の母」が長年に渡り、日本人の中で歌い継がれて来たか?
誰にとっても戦争が辛く悲しい出来事であった事は間違いないだろう。特に遺族にとっては思いも一しきりである。自分が産んだ息子の生きた証を、この「九段の母」に万感を込めたのではないだろうか?
シベリア抑留からの帰還を願って戦後生まれた「岸壁の母」と同じ母親の気持ちで、冷静に聞いていただきたい。そして息子を失った母親の気持ちを汲み取って頂けれればと思います。
二葉百合子 - 九段の母 reechine Chiouさん
戦後、録音された島倉千代子さんの「九段の母」も良いが、今回は二葉百合子バージョンを選んだ。
九段の母(昭和14年)
作詞:石松秋二作曲:能代八郎歌手:二葉百合子
- 上野駅から 九段まで
勝手 知らない じれったさ
杖 をたよりに 一日がかり
せがれ来たぞや 会いにきた
- 空を
衝 くよな大鳥居
こんな立派な お社 に
神と祀 られ もったいなさよ
母は泣けます嬉 しさに
- 両手
合 わせて ひざまずき
拝 む弾 みの お念仏
はっと気がつき うろたえました
せがれ許 せよ田舎 もの
鳶 が鷹 の子産 んだよよな
今じゃ果報 が 身に余 る
金鵄勲章 が 見せたいばかり
逢 いに来たぞや 九段坂
言わずもがなだが「こんな立派なお社に」とは靖国神社の事だ。靖国神社では、明治維新の坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作、橋本左内など幕末の志士達、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満洲事変、支那事変、大東亜戦争(第二次世界大戦)など、国のために尊い生命を捧げられた方々の御霊(みたま)が「神」として祀られている。
戦場で散華(さんげ)された遺族にとって、靖国神社は大きなより所なのだ。硫黄島司令官の栗林忠道中将が「日本が戦に敗れようといえども、いつの日か国民が諸君らの勲功をたたえ、諸君らの霊に涙し黙祷をささげる日が必ず来るであろう。靖(やす)んじて国に殉ずるべし。予は常に諸氏の先頭にあり」と残した。
歌詞中の金鵄勲章は、武功のあった軍人、軍属に与えられた勲章で、日本では唯一の武人に対する勲章だったようだ。
こうした息子、連合い、父親、兄弟姉妹、愛した人など遺族の誉(ほま)れを、おとしめないで頂きたい。また平和維持活動や、訓練中の事故で殉職された自衛官の方々が、一日も早く靖国に祀られることを心底から祈ります。