戦後は国体の弱体化政策としてGHQ指導によって、国民の天皇陛下への敬愛の気持ちを徐々に薄め、この政策に乗って立憲君主制を否定しようとする学者、教師、記者、三国人の中に急速に広まっていった。
 
イメージ 1
戦前から旗日には、各戸の家長または嫡子が国旗を掲揚する習わしだったのだが、戦後の教育が浸透してきた昭和30年代後半から、国旗を掲揚するお宅が急激に減っていた。
 
拙宅でも、当たり前のように樟脳臭い和箪笥から、国旗と金玉(きんぎょく)を取り出して、折り畳み式旗竿を組み立てて、門口(かどぐち)に掲揚していたが、中学生になった頃からご近所への恥じらいから、国旗を出すのを躊躇うようになっていた。
 
それでもしばらく養父は、黙々と旗日には国旗を掲揚していたが、何時しか鴨居に飾ってあった天皇皇后の御写真と共に、姿を消していった。
 
その一方で、昭和39年(1964年)に東京オリンピックが開催され、会場にはためく日の丸を眺めて感激していた。
特に金メダルを取って、君が代が流れて日の丸が掲揚される度に、熱い思いが溢れたことは確かだ。
 
こうした極端な差は「国旗=右翼」という刷り込みなの結果なのか、未だに判然としない。海外(欧州)に出張したときに、日の丸を振って出迎えてくれた時の光景は忘れることができない。
 
元旦は、門口に国旗と松飾が飾られ、その他祝祭日に国旗は欠かすことなく掲揚されていた。また当時は気に留めていた訳ではないが、成人の日、天皇誕生日、文化の日などの国民の祝日以外に、飾られていたことを思い出す。
今から考えれば、紀元節、神嘗祭、新嘗祭などと符合する。昭和30年代は「建国記念日」もなかったので、知る由もなかった。
 
改めて「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年10月14日太政官第344号布告と追補含む)によって、まとめてみると以下のようになる。
 
元始祭げんしさい  1月 3日 天皇が宮中三殿においてみずから主宰する、皇位の元始を祝ぐ。 元日
(1月1日)
新年宴会しんねんえんかい  1月 5日 奈良時代から宮中で行われていた元日節会(がんじつのせちえ)に由来  
先帝祭せんていさい  1月 7日 先代の天皇を祭る宮中祭祀のこと。先帝崩御日に毎年斎行される大祭。  
   1月の第二月曜日  成人の日
紀元節きげんせつ  2月11日 初代神武天皇の即位日をもって定めた祝日。 建国記念の日
春季皇霊祭しゅんきこうれいさい 春分日 先祖を祭る日で、お彼岸に最も近い戊の日に神社に参詣。春は五穀豊穣を祈る。 春分の日
神武天皇祭じんむてんのうさい  4月 3日 神武天皇の崩御日に相当する4月3日に毎年行なわれ、神武天皇の天皇霊を祭る。  
   5月 3日   憲法記念日
   5月 4日   みどりの日
   5月 5日 端午の節句(たんごのせっく) こどもの日
   7月の第三月曜日 海の日
   8月11日   山の日
   9月の第三月曜日 敬老の日
  10月の第二月曜日 体育の日
秋季皇霊祭しゅうきこうれいさい 秋分日 お彼岸に最も近い戊の日に神社に参詣。祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。 秋分の日
神嘗祭かんなめさい 10月17日 五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式。  
新嘗祭にいなめさい 11月23日 五穀の新穀を天神地祇に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝。 勤労感謝の日
天長節てんちょうせつ 11月 3日 明治天皇の誕生日を祝う。 文化の日
 8月31日 大正天皇の誕生日を祝う。  
 4月29日 昭和天皇の誕生日を祝う。 昭和の日
12月23日 今上天皇の誕生日を祝う。 天皇誕生日
 
現在の「国民の祝日に関する法律」では、本来の由緒来歴を消すことに必死になっているのだろうか?・・・やたらと「~の日」が増えている気がする。
 
特に天長節は、明治天皇がご崩御されて誕生日が「明治節」となって戦後は、意味不明の「文化の日」、昭和天皇の誕生日がご崩御と共に「みどりの日」になり、さらに平成18年(2006年)に「昭和の日」となって、一方、ご丁寧に「みどりの日」に小理屈をつけてゴールデンウィークの狭間に仕込んでしまった。
 
元々「新嘗祭」は五穀の収穫を祝う行事で、「勤労感謝の日」とはなんとも不可思議な言い回しだ。
アメリカの「Labor Day」(労働者の日)から来たのかも知れないが、本来の意味から見れば「Thanksgiving Day」(感謝祭)になるのだろう。
 
日本の旗日は、役人がまるで腫れ物(声の大きな人々)に触るように、国民無視で決められてきたことが良く解ると云えよう。