日清戦争の勝利で「朝鮮国の清国からの完全独立」、「遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権を永遠に日本に割与」、「清国は沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放して、日本に最恵国待遇を認める」、「賠償金の支払」など、両国間の同意で「下関条約」が1895年(明治28年)4月17日に締結された。
 
間髪を入れず、4月23日に清国の権益を狙っていたフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の列強三国が、日本に対して「三国干渉」を行った。列強の圧倒的な軍事力に矛を収めた日本は、遼東半島を清国に返還する事にしたが、間もなくロシア帝国は遼東半島に軍事基地を築いた。
 
この時から1904年(明治37年)の日露戦争までの間に、「日本国民は10年間でロシアに対する不屈の精神を築いていった」と、日露戦争アルゼンチン観戦武官だったマヌエル・ドメック・ガルシア大佐(当時)が、自書「海戦記」に書いていた。
 
今回の「敵は幾萬」は、列強国と対峙していた時代、1897年(明治30年)に「国民歌唱集」として生まれた。小説家山田美妙斎の「新体詩選」(明治19年8月刊)の中にある「戦景大和魂」が、元々日清戦争を前に作られた。これに音楽学校助教授小山作之助が曲を付けたようだ。
 
敵は幾万【明治軍歌】 賽河原幸之助. さん
 
敵は幾萬(明治30年)

山田美妙斎作詞「戦景大和魂」より
小山作之助作曲
 
  1. てき幾萬いくまんありとても  すべ烏合うがふせいなるぞ
    烏合うがふせいあらずとも  味方みかたたゞしき道理だうり
    じゃそれせい勝難かちがたく  ちょくきょくにぞ勝栗かちぐり
    かたこゝろ一徹いってつは  いしためし
    いしためしり  などておそるゝこと
    などて搖蕩たゆたこと
     
  2. かぜひらめ聯隊旗れんたいき  記紋しるしのぼあさひこ
    はた飛來とびく彈丸だんぐわんに  やぶるゝほどこそほまれなれ
    日本ひのもと兵士つはものよ  はたになぢぞすゝめよや
    たふるゝまですゝめよや   かるゝまですゝめよや
    はたになぢぞぢなそ  などておそるゝこと
    などて搖蕩たゆたこと
     
  3. やぶれてぐるはくにはじ  すゝミてぬるはほまれ
    かはらりてのこるより  たまりつゝくだけよや
    たゝみうへにてことは  武士ぶしなすべきみちならず
    むくろ馬蹄ばていけられつ  野晒のざらししてこそ
    武士もののふはめ  などておそるゝこと
    などて搖蕩たゆたこと

 
この歌は、1877年(明治10年)の西南の役から10~20年程度で、武家社会から農民や町民出身の兵士が、やっと戦力に成り始めた時代である。
 
国民から尊敬される「軍人の精神」として、「武士道」「大和魂」を啓発する歌詞と云えそうだ。
詞の内容は、現代から見るとかなり激しいが、一方で、この時代から「敵国」を特定してないところが日本的とも言えるだろう。
 
西洋軍歌蒐集館によると、1938年(昭和13年)ソビエト連邦の軍歌「Три танкиста」(三人の戦車兵)が作られたようだが、中に「самураи=サムライ」との戦闘が歌詞になっている。
当時ソ連で「サムライ」は、侵略者など良い意味ではなかった…と云う一部解説もあるが、米大統領の「YELLOW MONKEY」「JAP」発言や、欧州に蔓延していた「The Yellow Peril 黄禍論」より、遥かに敬意を感じる気もする。
 
三人の戦車兵 Три танкиста(Tom Kikuchi "CosBear"さんによる歌詞と和訳)
 
Юлия Ковальчук Три танкиста Праздничный концерт на Поклонной горе 2013
(サムライのフレーズが度々出る)
 
Три танкиста Ангелина Пиппер День победы.mov
(Angelina Belarusianちゃんの可愛い歌、サムライは出てこない)
 
ロシアに限らず「日本」以外では、普通の愛国心であるが、未だに日本では祖先の歴史を育んだ「軍歌」を取り上げると、即「右翼」にされてしまうのが悲しい。
 
ところで「敵は幾萬」のメロディーは、第二次世界大戦の「大本営発表」ラジオ放送のテーマ曲に流れていたとのことだ。