藤沢周平による小説に『人間の檻』があります。
江戸時代の獄医(牢屋で囚人をみてまわる医者のことです)である立花登が、様々な問題をそのずば抜けた推理力で解いていく、といったお話です。
立花登の推理の進め方はある基準に基づいています。それは、「普通だったらこういう返事をするはずなのに、行動をとるはずなのに、表情をするはずなのに、どうして彼/彼女はそれとは違った返事・行動・表情を採択したのだろう」と、「まず『普通』を考えて、そこから違いに焦点をあてていく」のです。
ですからまず「普通だったらどうする」を知っていなければ、事件は解決できません。立花登はこの「普通だったら…」の感覚を持っていたために、名推理を導きだすことができたのです。つまり「『普通』を良く知っていたために、『普通でない』ことにセンサーがうまく反応した」ということです。
ところと場所が変わってつい先日の東京で、「英語のセンサー」というお話が出てきました。
高校生の英作文をみていたとき、その英文の表現がどうも的を射ていないのですが、それを日本語に直すと不思議なことに問題に出された日本文と近いのです。文法にも誤りがないので、こちらは「いいんだけども、『普通は』こういう物の言い方は英語ではしないのです」というアドバイスにならざるを得ません。
それは言い換えれば、「その英文は読み手のセンサーに引っかかってしまうような不自然なものだ」ということです。
逆の立場を想起してみれば分かりやすいです。外国人のシンガーが日本でライブ公演をおこなったとき、観客に向かって「トーキョ、アイシテマスー」と叫んだそうです。当然その場は盛り上がりますが、「普通」はその状況では「愛してます」よりも「オマエラガスキダー」とか「モリアガッテルカー」が使われます。でも「アイシテマスー」だって英語になおせば “I love you, Tokyo!” ですから英語にしてしまうと至って「普通」な表現です。
その逆のことがその高校生の英作文では起こっていた訳です。「日本語に直してみれば自然なのだけれど、英語ではそのような言い方はしない」という類いの作文だった訳です。
こういったミスをなくすには「英語のセンサー」の感度を上げるしかない。英語のセンサーはどこにあるのかといえば、僕は耳だろうと思います。英語を聞いている時に、もし「普通」でない表現があったときにまず耳が反応する。そして「あ、へんだな」と思う訳です。
英語を読んでいる時も同じです。厳密に言えば読んでいる時には「目」が反応すると思われると思いますが、僕の感覚では読んでいる時でさえ「耳」が反応している。おそらく英語を聞いていて「あ、へんだな」と思う時と、英語を読んでいて「あ、へんだな」と思う時は、同じ脳の部位が働いていて、それは「聴覚」と関係しているのではないでしょうか。少なくともそのように信じたくなるほど、普通じゃない表現に対して「耳」が反応している、という感覚があるということです。
では先ほどからいっている「普通」とはどういったことをさすのでしょうか。ソシュールという言語学者は、「ラング」と「パロール」という言葉を生み出しました。
「ラング」とは社会的に、もしくは一般的に、もっといえば「普通に」使われている言葉遣いのことです。これは自分自身の力ではなかなか変更することの難しい部分です。生まれたところがある種の「ラング」を採用していれば、それに従わざるを得ないということです。
「パロール」とは「個人の発話」のことです。普通の物の言い方(「ラング」)ではなく、その人が特徴としてもつ「癖」みたいなものです。
「物の言い方の普通」っていうのは上にあげた「ラング」に属するものです。ではこの「普通」の感覚はどうやって身につけることができるでしょうか。
フォークナーという小説家は「どうしたら文章がうまくなりますか」という質問に対して以下のように答えました。
Read, read, read. Read everything - trash, classics, good and bad, and see how they do it. Just like a carpenter who works as an apprentice and studies the master. Read! You'll absorb it. Then write. If it is good, you'll find out. If it's not, throw it out the window.” (Faulkner)
「読んで、読んで、読む。なんでも読むことだ。ゴミみたいな本から古典まで、良い物も悪いものもひっくるめて。そしてどうなってるのかを見てみることだ。それは見習い大工が親分の仕事をみてやり方を覚えるのと似ている。まず読むんだ!君はそれをきっと吸収するだろう。その時がきたら書き始めたまえ。もしその作品が良ければ自分で分かるはずだ。もしちがったら、そんなもん窓から放り投げてしまえ。」
この方法は、英語を学習する上で「普通」の感覚を得るための訓練と同じだろうと思います。
「英語のセンサー」の感度を上げるには、まず「よんで、よんで、よむ」ことです。そうすることによって、「英語の普通」を自分の中に取り込んでいてく。absorbするということです。
具体的なものとすれば、例文暗記というものは効果的であると思います。単語を覚える時も例文の中で覚えてしまう。電子辞書なら検索で10個以上の例文が示されます。それを覚えてしまう。
そういうことの繰り返しで「普通」を取り込んでいくこと以外に、感度の上げ方はないのではないかと思います。
江戸時代の獄医(牢屋で囚人をみてまわる医者のことです)である立花登が、様々な問題をそのずば抜けた推理力で解いていく、といったお話です。
立花登の推理の進め方はある基準に基づいています。それは、「普通だったらこういう返事をするはずなのに、行動をとるはずなのに、表情をするはずなのに、どうして彼/彼女はそれとは違った返事・行動・表情を採択したのだろう」と、「まず『普通』を考えて、そこから違いに焦点をあてていく」のです。
ですからまず「普通だったらどうする」を知っていなければ、事件は解決できません。立花登はこの「普通だったら…」の感覚を持っていたために、名推理を導きだすことができたのです。つまり「『普通』を良く知っていたために、『普通でない』ことにセンサーがうまく反応した」ということです。
ところと場所が変わってつい先日の東京で、「英語のセンサー」というお話が出てきました。
高校生の英作文をみていたとき、その英文の表現がどうも的を射ていないのですが、それを日本語に直すと不思議なことに問題に出された日本文と近いのです。文法にも誤りがないので、こちらは「いいんだけども、『普通は』こういう物の言い方は英語ではしないのです」というアドバイスにならざるを得ません。
それは言い換えれば、「その英文は読み手のセンサーに引っかかってしまうような不自然なものだ」ということです。
逆の立場を想起してみれば分かりやすいです。外国人のシンガーが日本でライブ公演をおこなったとき、観客に向かって「トーキョ、アイシテマスー」と叫んだそうです。当然その場は盛り上がりますが、「普通」はその状況では「愛してます」よりも「オマエラガスキダー」とか「モリアガッテルカー」が使われます。でも「アイシテマスー」だって英語になおせば “I love you, Tokyo!” ですから英語にしてしまうと至って「普通」な表現です。
その逆のことがその高校生の英作文では起こっていた訳です。「日本語に直してみれば自然なのだけれど、英語ではそのような言い方はしない」という類いの作文だった訳です。
こういったミスをなくすには「英語のセンサー」の感度を上げるしかない。英語のセンサーはどこにあるのかといえば、僕は耳だろうと思います。英語を聞いている時に、もし「普通」でない表現があったときにまず耳が反応する。そして「あ、へんだな」と思う訳です。
英語を読んでいる時も同じです。厳密に言えば読んでいる時には「目」が反応すると思われると思いますが、僕の感覚では読んでいる時でさえ「耳」が反応している。おそらく英語を聞いていて「あ、へんだな」と思う時と、英語を読んでいて「あ、へんだな」と思う時は、同じ脳の部位が働いていて、それは「聴覚」と関係しているのではないでしょうか。少なくともそのように信じたくなるほど、普通じゃない表現に対して「耳」が反応している、という感覚があるということです。
では先ほどからいっている「普通」とはどういったことをさすのでしょうか。ソシュールという言語学者は、「ラング」と「パロール」という言葉を生み出しました。
「ラング」とは社会的に、もしくは一般的に、もっといえば「普通に」使われている言葉遣いのことです。これは自分自身の力ではなかなか変更することの難しい部分です。生まれたところがある種の「ラング」を採用していれば、それに従わざるを得ないということです。
「パロール」とは「個人の発話」のことです。普通の物の言い方(「ラング」)ではなく、その人が特徴としてもつ「癖」みたいなものです。
「物の言い方の普通」っていうのは上にあげた「ラング」に属するものです。ではこの「普通」の感覚はどうやって身につけることができるでしょうか。
フォークナーという小説家は「どうしたら文章がうまくなりますか」という質問に対して以下のように答えました。
Read, read, read. Read everything - trash, classics, good and bad, and see how they do it. Just like a carpenter who works as an apprentice and studies the master. Read! You'll absorb it. Then write. If it is good, you'll find out. If it's not, throw it out the window.” (Faulkner)
「読んで、読んで、読む。なんでも読むことだ。ゴミみたいな本から古典まで、良い物も悪いものもひっくるめて。そしてどうなってるのかを見てみることだ。それは見習い大工が親分の仕事をみてやり方を覚えるのと似ている。まず読むんだ!君はそれをきっと吸収するだろう。その時がきたら書き始めたまえ。もしその作品が良ければ自分で分かるはずだ。もしちがったら、そんなもん窓から放り投げてしまえ。」
この方法は、英語を学習する上で「普通」の感覚を得るための訓練と同じだろうと思います。
「英語のセンサー」の感度を上げるには、まず「よんで、よんで、よむ」ことです。そうすることによって、「英語の普通」を自分の中に取り込んでいてく。absorbするということです。
具体的なものとすれば、例文暗記というものは効果的であると思います。単語を覚える時も例文の中で覚えてしまう。電子辞書なら検索で10個以上の例文が示されます。それを覚えてしまう。
そういうことの繰り返しで「普通」を取り込んでいくこと以外に、感度の上げ方はないのではないかと思います。