is am are do に対応する過去形was were did には主要な役割が3つあると思う。
それは
(A)過去を表わす
(B)言い回しを丁寧にする
(C)言い回しを仮定的にする
だと思う。学校では,そういうものなのだ、と教わった記憶があるが、今ではちがうと僕は言うことができる。
これらの3つの用法は、過去形そのものの特徴を理解すれば事足りたのだ。

それは過去形は「今いる自分からの距離」を表わしているということである。
過去形だから当たり前といえばそうであるが大事なのは今いる「自分」からの距離であるということ。
上記3用法を順に詳述したい。

(A)【過去を表わす用法】
これは難なく理解できる。つまりこのとき、過去形は「【今自分のいる時間】と【話していることの時間】との距離」を表わすものと
なっている。
I once cheated my girlfriend 2 years ago.(二年前、浮気しちゃったんだ)
というように。

(B)【言い回しを丁寧にする用法】
Can you pass me the salt?/Could you pass me the salt? 過去形を用いたほうが言い回しを丁寧にすることができる。
Would you mind などにも見受けられる用法だ。
ここでは「【今の自分】と【今の相手】との距離」を過去形によってあらわしている。逆にいえば親しい間柄、相手との距離が少ない時
には Can you pass me the salt?やPass me the salt!などを使うことが多いだろう。

こういったことは日本語でもある。お店に行けば「ご注文は餃子でよろしかったですか。」など、過去形で聞かれることも多い。
この使い方は間違っているといわれているが、やはり丁寧にしようとして用いているのだろう。

(C)言い回しを仮定的にする用法
If you were me, you would be overwhelmed by despair.(もしあなたが僕だったら、絶望に打ちひしがれることだろう。)
これは一般的に仮定法とよばれているものだが、同様に、このときの過去形は「【今自分のまわりの現実】と【話している内容】との距離」を
あらわしている。だから仮定法を使うときには例のように「ほんとはそんなことないんだろうけどね」という気持ちがないとダメ。
だから
If you like laws and sausages, you should never watch either one being made.(まだ法律もソーセージも好きなら、そいつらがどうや
って作られているのかをみないことだね)などというただの仮定には使いにくい。


このようにすれば、1をきいて3を知る、とまではいかなくても、1をきいて3の手がかりとすることができる。
3を聞いて3を知るやり方よりもずっと良いと思う。