中世ヨーロッパ世界はアジア大陸からやってきた疫病であるペストに苦しんだ。黒死病"Black Death"とも呼ばれており、当時のヨーロッパ人口を三分の一まで減少させた大災害であった。
人々はペスト対策として外に出ないようにしたり、反対に、あたかも普段と変わらない生活によって気を紛らわせたりした。
一つ奇異なものとしては、ある種のコスチュームを着ることによって感染を防止できると信じられていたことだ。
たとえば鳥のくちばしをつけたマスクをかぶり、その上にハットを被ったりしたのもそのひとつである。
現在でもアフリカでは処女とsexをすることでAIDSが治ると信じられているようだが、手に負えないものがあると迷信に頼ることは理解できなくもない。
さて、Black Death はアジアからやってきたものであるがそれはラットを媒介して運ばれてきたものだった。ここからアジア=ヨーロッパでの交流が盛んだったことがうかがえる。ラットが自力でその長距離を渡ることは可能なのだろうか。
交易の主なものは商業である。当時アジアでとれる香辛料はヨーロッパでは非常に高価なものだった。コロンブスを支援したイサベル女王もイスラム世界を介さないで香辛料生産地域への直接航路を求めていたのだった。
イタリアは港湾都市として栄えた。ペストがあっても商業取引は継続された。ただし入港してくる船が病原菌をもっているかもしれないので、上陸前に40日間は様子をみることになった。"forty days"はイタリア語だと"quarantina" となる。これが「検疫」の語源となっており現在の英語では"quarantine"がそれを示す言葉として定着している。
40日間の拘束を穴埋めできる利益が得られていたのだろうから驚きだ。