みなさん、こんにちは。
もう年末ですから、頭にくるような中国関連のお話はお休みにして、今日は私たち自身のことに目を向けてみました。


12月23日は天皇陛下のお誕生日「天長節」、正月は皇居参賀で、皇居周辺にはこれをお祝いしようとする皆さんが集まって、「天皇陛下万歳」を声高らかに、お祝いします。


ところがこの「天皇陛下万歳」という語句、戦後の教育によって、すっかり右翼っぽいイメージが摺りこまれ、日本人の価値基準を大きく変えていますね。

とほほ。


イギリス人が「女王陛下万歳」を叫ぶと、右翼でしょうか?
アメリカ人が国旗のプリントされたTシャツを着ていると、アメウヨでしょうか?

そんなことはないでしょう。
ではなぜ日本人だけが、天皇陛下万歳を叫び、国旗を大切にし、君が代を気をつけの姿勢で歌うと「右翼」なのでしょうか?


それは、「戦争」をきちんと分析せず、歴史を知らず、形だけを後世に伝えてきた、私たちの前の世代の「負の巨大遺産」であると私は考えています。


戦争映画は確かに存在し、戦争の歴史を伝えているし、学校でも歴史は教えていると思われるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか?


(まあ、学校の歴史教育に関しては、もう情けなさ過ぎるので、めでたいお正月を前に今日は言うのを辞めましょう。いずれ存分に斬ってやろうと思っています。)


なぜ私たちの先祖が、当時の将兵が、それほど国旗を大切にし、死ぬまで戦ったのかと言うと、天皇の存在を、国旗や国歌の存在を大切に思う理由や思い入れがあったからです。

戦争映画では反戦映画であれ、そうでないものであれ、その点がまったく描かれていないのです。

見るものに分かりやすく訴える家族愛戦争の悲惨さを中心に描かれてはいるものの、当時の日本人にとって、天皇とは、国旗とは、国家とはどういう存在であったのか、という点が、まったく表現されることなく、主要な登場人物が戦死の間際になって、突然「天皇陛下、万歳!」と叫び死亡。叫び


それでは、「天皇陛下万歳」が「死につながるキメ台詞」としてすりこまれるのは当たり前。


当時の日本は、本当に切羽詰っていたんです。

博物館などで当時の生活物資を見ればそれが分かります。


国土が奪われれば、他国の植民地同様、奴隷になるかもしれなかった。
でも、どんなにぼろぼろになって、日本人が世界に散っても、

国旗が揚がるところに集まれば、

国歌が聞こえるところに集まれば、

天皇陛下のもとに集まれば、また家族やみんなに会える。


国土という空間と、歴史という時間を失いそうに感じていた当時の将兵たちは、家族や仲間がまた一緒に集まることが出来るこれらの象徴を大切にしていたのです。


想う人が永遠であるようにと願う古今和歌集から作られた「君が代」を歌い、みんなを照らす太陽への感謝を印とした「日の丸」を掲げ、いつもみんなが元気に集まっていられるよう、正月も元日から私たちの平和をお祈りして下さる天皇陛下に、これからも「万歳」までお元気であっていただくよう、正月は家族で皇居に行って「天皇陛下万歳」と、お祝いして参ります。


皆さんもどうぞ良いお年をおむかえください。