どうも最近「日本維新の会」の躍進で「新自由主義」やら「競争」やら「市場主義」について
ネット上で議論が巻き起こっているようだ。
さて、私は「市場主義」者だと自認しているが、「日本維新の会」の主張するような
「競争さえすればよい結果になる」、「競争に負けたら自己責任」というのは賛同できない。

そもそも、「市場」が経済学的に厚生を高めるためには、経済学では初歩的なことだが
前提がある。それは、次のような前提だ。

1.原子性:市場は小さな生産者と消費者がそれぞれ多数いて、それぞれの行動は大きな影響を
他者に与えない。特に全ての会社がプライス・テイカーでなければならないことに注意。
2.均一性:すべての商品は同じ商品名である限りは完全に代替可能である。
3.完全情報:全ての会社と消費者はすべての商品の性質と価格を(他社のものまで)知っている。
4.平等なアクセス:全ての会社が製造技術へのアクセスを持ち、リソースや情報は完全に無料で
移動可能である。
5.自由な参入:全ての会社が市場に自由に参入・退出できる。

こうした全体が成り立てば、それは社会的厚生の増大に役立つ。

しかし、実際にはこのような条件が成り立たないことがある。ことに完全な情報を
市場参加者が入手できない情報の非対称性がある場合が多い。
例えば、中古車市場が有名だが、保険市場もそうだ。保険は、一定のルールで縛らなければ
病気がちな人ほど保険に加入したがることになる。このような例を「市場の失敗」という。

そこで、加入にはルールがあって、
医師の診断などでいったん情報を補完して一定の健康状態の人のみを加入させているのだ。

こうした「市場の失敗」を避けるためには、政府の規制や業界のルールなどがあるのだ。

ルール無視で、競争さえすればよい結果を生むわけではない。
市場が適切に機能するためにこそ、一定のルールや規制が必要なのだ。

そういう意味で、維新の橋下代表代行が言うように、「選挙に勝ったらそれは白紙委任を受けたのだ」というのこそ、「市場の失敗」の良い例だと思う。選挙前に行ったことをすべて反故にできるということは、情報の非対称の極みを意図的に実現していると言えるだろう。

しかし、このような「市場」についての基礎的な認識を持って議論するマスコミがないことは
非常に問題だと思う。海外の新聞を読んでいれば、政治家の経済政策をクルーグマンとかが
わいわい評論していて読者が考えるよいベースになるのだけど。