創価学会の模刻事件とは? | 誇りが育つ日本の歴史

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創価学会の模刻事件とは?

昭和49年(1974年)4月、創価学会は、日蓮正宗の御本尊である正本堂建立本尊を無許可で模刻(コピー)しました。

 

浅草の赤澤佛具店本店に依頼して、8体の御本尊を板本尊に模刻しました。

 

昭和49年9月2日、宗門(日蓮正宗)と創価学会との連絡会議の席上、池田大作会長より「学会本部安置の紙幅の御本尊様が、年月を経て傷みかひどいので板本尊にしていただきたい」という願いをして、日蓮正宗の日達上人は「いいでしよう」と回答しました。

 

すでに五ヶ月前に模刻していたのですが、池田大作会長は、形式的に許可を願い出たのです。

 

昭和50年1月1日、創価学会本部に模刻された板本尊を安置し、池田大作会長が、導師をして入仏式を行っていた

 

通常、御本尊の御開眼と入仏式は、僧侶の導師によって行うべきであるとされていますが、創価学会はそれを僧侶を呼ばずに行いました。

 

なお、ここでいう「僧侶」とは、日達上人のことをさします。

 

この入仏法要の件が、創価学会の一般会員に知れ渡り、大きな問題と発展して行きました。

 

池田大作会長は、動揺を鎮めるために昭和50年10月23日、当時総監であった早瀬日慈御尊能化を、創価学会本部に呼んで、模刻本尊の入仏法要を行いましたが、残り7体についてはそのまま放置されました。

 

それでも、学会員の動揺鎮まらなかったので、池田大作会長は、模刻本尊の入仏開眼法要の導師を、日達上人に再三にわたりお願い出しました。

 

しかし、日達上人は断固拒否。

 

昭和52年11月7日、創価学会は創立47周年記念法要を執行。

 

この時、再三の願い出もあり、日達上人はやむなく承諾。記念法要の大導師、また模刻本尊の開眼をされた。

 

これによって、創価学会本部に安置された模刻本尊は、日達上人が追認した板本尊となったので、そのまま本部に安置されることになりました。

 

昭和53年9月27日、模刻した他の7体の御本尊は、ヨーロッパやアメリカなどに送っていたので、それを送り戻して、創価学会の中西総務と山崎顧問弁護士が、日蓮正宗の大宣寺に運びました。

 

昭和53年11月7日、創価学会の創立48周年記念登山にて、池田大作会長と代表幹部2000名、全国の教師を大講堂に集めて、御本尊を模刻した罪を認めて、正式に謝罪しました。

(お詫び登山)

 

その後、宗門を金の力で屈服させるか、屈服しない場合は、宗門からの独立の可能性も想定して、着々と布石を打っていきました。

 

いずれにしても軍資金が必要というので、池田氏は学会の財政規模を年々拡大していた。

 

これに伴い、学会員からの寄付金(財務)の金額は年々跳ね上がった。年間一人当たり100万円以上の財務が呼びかけられ、年金生活者からも寄付を搾り取る「狂乱財務」が行われて行きました。

 

池田氏は、「宗門からの独立を考えている。金ができたからだ

」と側近に語りました。

 

平成2年(1990年)11月16日、創価学会インタナショナル(SGI)各支部に向けて行った本部幹部会において、池田大作名誉会長が、宗門批判する内容の講演を行いました。

 

同年12月16日、日蓮正宗は、その内容の真意を確認するために、創価学会へ質問状を送りました。

 

12月19日、創価学会の顧問弁護士である八尋氏は、宗門(日蓮正宗)からの質問状について、

 

「坊さんはとにかく短絡的で理屈好き。今後どうするかはっきり書いてないが、法華講総講頭の辞任を求めて来ることもあり得る。

 

だが、池田名誉会長は強気だ。全面降伏した10年前とは違う。」と宗門への敵意をみなぎらせていました。

 

そして、創価学会は宗門(日蓮正宗)からの質問状を無視しました。

 

法華講とは、総本山大石寺に本部、日蓮正宗各寺院に支部を置く信徒団体であり、総講頭はその代表という意味になります。

 

大石寺の藤本日潤総監らは皆、猊下(法主)の下に結集。

 

猊下(法主)は、「今後、経済的に困るかもしれないが、池田氏とその周辺の幹部を許すわけにはいかない。」と語りました。

 

もし、池田氏を法華講総講頭から罷免したら、宗門と創価学会は全面戦争となる可能性がありました。

 

日蓮正宗の宗務院は、平成3年(1991年)11月28日、創価学会を破門処分しました。

 

本尊模刻事件は、創価学会を大きく揺さぶる大事件でした。日達上人へ謝罪したことも本心からではなく、10年後に復讐することを誓ったものでした。

 

そして、10年後にその怨念を晴らすために宗門との抗争を繰り広げ、ついに宗門(日蓮正宗)から破門を受けました。

 

破門を覚悟の上の抗争でしたので、池田大作名誉会長としては願ったりだったでしょう。

 

この事件に関して、平成2年以降になって、創価学会は、

 

「学会に誤りはなかった」

「模刻事件は、日達上人の失態をかばって学会が罪をかぶったのだ」

 

「お詫び登山での謝罪は、日達上人を守るために宗門(日蓮正宗)が作成した文書を、池田大作先生が読んだだけ」

 

などというデマを学会員に流すようになりました。

 

参考図書

「乱脈経理 創価学会 VS 国税」矢野絢也著

 

動画

「創価学会離反の真相 7 池田大作・御本尊模刻の証拠」