南京事件 遺体埋葬の真実 | 誇りが育つ日本の歴史

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南京事件 遺体埋葬の真実

 

南京で20万人以上を虐殺したと判決した東京裁判。

その判決文に証拠として採用された資料には、何の根拠もありませんでした。

 

昭和20年(1945年)11月、東京裁判に資料提出するためと、谷寿夫中将の処分を急ぐために南京市で、大掛かりな資料集めを行いました。

 

調査のために「南京地方院検察処敵人罪行調査委員会」という組織が設置されましたが、その構成メンバーは医師会や商工会、紅卍字会、青年会など14団体でした。

 

この調査により裁判所に提出された資料には、埋葬死体数が”15万5千人”とあり、詳細な一覧表が添付されていました。

 

(紅卍字会による埋葬死体数4万3071人、”崇善堂”による埋葬死体数11万2261人)

 

東京裁判では、判決文で次のように書いてあります。

 

「後日の見積もりによれば、日本軍が占領してから最初の6週間に南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万人以上であったことが示されている。

 

これらの見積もりが誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が、”15万5千”に及んだ事実によって証明されている」と。

(「東京裁判」)

 

この判決文に”15万5千”と書かれているように、調査委員会が資料として提出した統計表が、決定的な証拠として採用されていることがわかります。

 

この調査委員会が提出した統計表は、本当に証拠として信頼できるものなのでしょうか?

 

弁護側は次のように反論しました。

 

「この統計表は、(南京)事件後10年も経過してから作られたものである。

 

死体を10年後に明確にしようとしてもそれは不可能であり、結局この数字は全く想像によるものであると断ぜざるを得ない。

 

死体発見場所から見ても、これらの死体は戦死者の死体である。日本軍による虐殺死体とするのは誤りである。

 

この数字は多分に作為されたものである。例えば、”崇善堂”の作業を見ると、最初の4月までの間は、1日平均130体であったものが、

 

急に1日平均2600体となり、これを連続10日間にわたり、作業したことになり、その誇張、ずさんは信用できない。

 

雨花台・水西門・中山門等は当時の日本軍により清掃されたる地域にして、戦後5ヶ月(南京城陥落した昭和12年12月13日から)を経過したるのち、このような多くの死体が存在するはずがない。

 

紅卍字会の数字の中には、女・子供は皆無に近いが、”崇善堂”の数字の中には、全て男子、女子、子供を適当な減少率で死体数を記入してある。

 

明らかに作為的な数字である。」と。

 

東京裁判では、このような弁護側の反論を全て棄却して、調査委員会の報告をそのまま証拠として採用して、判決を下しました。

 

 

第16師団長参謀長であった中沢三夫大佐は次のように述懐しました。

 

「死体処理は日本軍が主体となって、各種民間団体と多数の苦力(クーリー)を使って行いました。しかるに、紅卍字会や”崇善堂”が日本軍とは無関係に、独自に処理したかのように発表しているが、事実に反する。」と。

 

”崇善堂”とはどのような団体だったのでしょうか?

 

”崇善堂”の事業内容は、衣料給与、寡婦の救済、保育などが主な事業。

(「民国24年度(昭和10年)南京市政府行政統計報告」南京市政府秘書処発行)

 

とあり、葬儀や埋葬はやっていないことがわかりました。

 

南京城の内外に散財した死体は、紅卍字会及び自治委員会救済課で埋葬隊を組織して処分していきました。

(「中華民国27年度南京市概況」)

 

この資料でも、埋葬業者として、”崇善堂”の名前は出てきませんでした。

 

南京の日本商工会議所編の「南京」の中にある、「南京市政公署振務委員会」の収支表では行政院が各種慈善団体に補助金を支給しており、”崇善堂”も支給されていました。

 

「各種慈善団体は南京事変の為、資金難に陥り一時停頓したが、振務委員会より補助を受けて暫時復旧していった」、とあります。

 

”崇善堂”が本格的に活動を再開したのは、南京事変が起きた8ヶ月後の「昭和13年9月から」と記録されていました。

 

南京陥落した昭和12年12月13日から昭和13年5月にかけて、”崇善堂”が11万2千人という膨大な死体埋葬を行なったというのは、当時の公的な記録から読み取ることができません。

 

参考図書

「南京事件の総括」田中正明著