戦前の徳積みを使い果たしてしまった戦後の日本人 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

戦前の徳積みを使い果たしてしまった戦後の日本人

 

 

 

昭和60年(1985年)3月12日、イラク軍が、停戦合意を破り、イランの首都テヘランへ空爆を開始。

 

3月17日夜、イラクのフセイン大統領が次の声明を発表しました。

 

「48時間の猶予期限以降(3月19日20時半以降)、イラン上空を飛ぶ全ての飛行機を、イラク空軍の攻撃対象とする」と。

 

突然の無差別攻撃の予告に、世界中が大パニックになりました。

 

イラン在住の外国人たちは、それぞれ自国の軍隊が派遣されて、イランからの脱出を行いました。

 

しかし、イランに住む日本人駐在員とその家族たちは、憲法上の理由で、自衛隊が救助に向かうことができず、生命の危機に陥ってしまいました。

 

また、日本航空にチャーター便の派遣を依頼しましたが、同社のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由に、イランの在留日本人救出を拒絶。

 

この時、労働組合の決定に反して、海上自衛隊出身の高濱雅巳機長は、真っ先に志願しましたが、日航機はテヘランに飛びませんでした。

 

3月19日20時半のタイムリミットは、すぐそこまできていました。

 

イランの日本大使館は、他国の軍隊に救援を依頼しますが、どの国も自国民の救出を最優先しているので、断られてしまいました。

 

そのような逼迫した中、野村豊イラン駐在大使が、トルコ共和国のビルレル駐在大使へ、藁をもすがる思いで連絡しました。

 

「日本人のためにトルコ航空の特別便を飛ばせないか?」と。

 

トルコ共和国のトゥルグト・オザル首相が、ビルレル駐在大使から報告を受け、2機のトルコ航空機をテヘランに飛ばすことを決断。

 

政府の要請を受けたトルコ航空では、すぐ、この危険なフライトをしてくれるパイロットがいないか、募りました。

 

すると、その場にいたパイロット全員が志願しました。

 

オルハン・スヨルジュ機長らが操縦する2機のトルコ航空機が、テヘランのメヘラーバード国際空港に向かい、在留邦人215人を乗せ、再び、トルコに向け離陸。

 

そして、3月19日18時45分、トルコ領内に入りました。

タイムリミットまで、あと1時間45分という間一髪のところでした。

 

しかし、トルコ航空機に搭乗することができなかったトルコ人約500名たちは、イランにとり残されました。

 

テヘランに飛行機を飛ばすということは、イラク軍に撃墜されてしまう危険がありました。

 

それでも、トルコ共和国のトゥルグト・オザル首相は、日本人救出のために決断し、また、トルコ人パイロットたち全員が、命をかけた日本人救出に志願したのです。

 

トルコ航空機に乗ることができずに、イランに取り残されてしまったトルコ人たちは、その後、どうなったのでしょうか?

 

トルコ人たちは、その後、3日間もかけて自動車で脱出しました。

 

このような日本人救出を優先したことに、トルコ人の誰一人、不満を言わなかったそうです。

 

なぜでしょうか?

 

ネジアティ・ウトカン駐日トルコ大使は、次のように語りました。

 

「エルテュールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れません。

 

私も、小学生の頃、歴史の教科書で習いました。トルコでは、子供達でさえ、エルテュールル号のことを知っています。

 

それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」と。

 

当時の救出された日本人はもちろん、日本政府も、なぜ、トルコ人が日本人を救出してくれたのか、よくわかりませんでした。

 

当時、エルテュールル号の遭難事故を知っている日本人は、ほとんどいなかったからです。

 

215名の在留日本人の命を救うことよりも、占領憲法を守ることを優先した、当時の日本政府。

 

そしてイランに取り残された、215名の在留邦人の命を救うことより、自分たちの身の安全を優先した、日本航空の労働組合。

 

その一方、自国民の救助より、日本人の救出を優先してくれた、トルコ首相、そして、自分たちの身の危険を顧みず、日本人救出のために志願してくれた、トルコ航空パイロットの方々。

 

戦前の日本人が積み上げてくれた徳積みのおかげで、この時、215名の命をトルコ人の方に救出していただきました。

 

大正10年(1921年)- 昭和2年(1927年)まで日本の駐日フランス大使を務めた、ポール・クローデル氏が、昭和18年(1943年)の秋、パリのある夜会に招かれて次のように話しました。

 

「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。

 

日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。

 

日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。

 

どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。

 

古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。

 

”彼らは貧しい。しかし、高貴である”」と。

 

彼が、もし、この時に生きていたら、なんと言ったでしょうか?

 

「日本は豊かだ、しかし。。。」

 

このような戦前の日本人の徳積みを、戦後の日本人は使い果たしてしまっているようです。

 

中共や韓国に、謝罪してお金をばらまくことは、徳積みではありません。

 

それは、ゆすり、たかり、カツアゲ、振込詐欺を受けて、お金を巻き上げられている行為に過ぎません。

 

そのような行為は、世界から賞賛されることは決してなく、また、中共や韓国からもバカにされるだけです。

 

日本国民が払った税金が、中共軍(人民解放軍)の軍事費として使われているのです。その額、なんと総額6兆円。

 

その上、尖閣諸島を中共に取られてしまうのです。

 

戦前の日本人は貧しかった。しかし、高貴であった。

戦後の日本人は豊かだ。しかし、。。。。

 

画像

トゥルグト・オザル トルコ元首相