第一次上海事変は、実は中国人同士の政権争いだったのです。 | 誇りが育つ日本の歴史

誇りが育つ日本の歴史

日本では自殺者が増え続けています。
自虐史観を押し付けられ、日本の建国の歴史が書かれている神話を、教わらない事が、その主な原因です。
少しでもそのような精神的な貧乏状態を改善していきたいです。

 

 

 

 

 

1932年1月28日、上海市内で日本軍と中国軍が軍事衝突しました。(第一次上海事変)
 

この事変を日本軍による侵略であると思っていますか?

実は上海事件は、中国人同士の政権争いだったのです。

 

この中国軍は蔡 廷鍇(さい・ていかい)が指揮する国民革命軍第19路軍でした。

 

蒋介石と蔡 廷鍇は政敵として対立しており、蒋介石にとって邪魔な存在でしたので、中国流の「夷を以て夷を制す」という方法で、外様である蔡 廷鍇を日本軍の力を借りて殲滅させようとしたのです。

 

当時の上海には外国人租界区が設けられていました。
米国、フランス、イギリス、イタリア、日本などはそれぞれ租界区を設けて、一般国民をそれ俺の警備兵が守っていました。

 

1月18日上海にある日蓮宗の僧侶と信徒5人が、三友實業社タオル工場付近で、約300名のシナ人により襲撃を受けるという事件が起きました。

 

この事件は、上海に住んでいる日本人全員を震撼させました。

 

これにより、日本人の自警団が立ち上がり、抗日シナ人がたくさん働いているという三友實業社を報復攻撃し、20日にデモ行進を起こして、日本海軍陸戦隊司令部に押しかけて出兵要求をします。

 

そして、居留民を保護しないなら、武器の引き渡しを要求しました。

当時の上海では日本人を対象とした殺人強奪事件が頻繁に起きていました。
 

抗日便衣兵は、日本人一人殺すと100元の賞金が出て、一発の銃声を放つと1元になるという噂話もあったほどです。
(便衣兵とは一般市民を装って軍服を着ず、武器を隠し持った兵隊のことです。)

 

ですので、日本人居留民はシナ人から身を守るために、常に危機意識を持っていましたが、上海に駐留していた日本軍はなかなか行動を起こしませんので、止むに止まれず立ち上がったのです。

 

しかし、陸戦隊は、その時の隊員がわずか300名足らずでしたので、居留民の要求にしたがって軍事行動を起こせば、甚大な被害が出ることを恐れ、隠忍自重してくれと諭して、デモ隊を解散させました。

 

21日、日本海軍は呉軍港から巡洋艦2隻、空母1隻、駆逐艦12隻を上海に向け出航させて、上海に駐留する陸戦隊を増兵しました。

 

28日、海軍陸戦隊が警備区域に就こうとすると、19路軍の78師団が拒み、シナ兵から発砲されたのを受け、ついに軍事衝突という展開になりました。

 

日本海軍陸戦隊は2千7百名に対し、5万から6万人とも言われる中国軍。

兵隊の数で言えば圧倒的に不利な日本軍ですが、その不利なはずの日本軍を前にして、中国軍は敗走するのが常でした。

 

日本軍と対峙している中国の19路軍の背後には、もし、敗走してきた兵がいたら射撃するべく、待機していた督戦隊がいました。

 

督戦隊とは、戦闘から勝手に離脱する兵士がいたら、捕まえたり射殺する任務を持った部隊のことを言います。

 

シナ兵は生活に困って兵隊になる人が多く、命を捨ててまでお国のために戦おうという、気概のある兵隊はあまりいません。

 

ですので、戦況が不利とわかった途端、一目散に逃げるのです。
それを阻止するために、背後には同じ見方であるはずの軍隊が待機していたのです。

 

しかし、この時は第19路軍は、4千人の義勇兵からなる「誓死抗日」(抗日のために死を誓う)という悲壮感を持った、国民救国軍が戦闘に加わったということもあり、玉砕覚悟の奮戦をします。

 

日本海軍陸戦隊が危機に瀕しているのを見て、居留民たちは、陸軍に即時派兵を本国政府に要請しました。

 

そして、日本陸軍から次々に援軍が到着し、また、中国国民党中央も援軍を投入、戦闘は全面的に拡大していきましたが、3月3日戦闘は中止されました。

 

この上海事件を「中国統一完成、国民精神高揚」と海外メディアは世界に発信しました。蔡 廷鍇は、「愛国者の鏡」と海外メディアは絶賛したのです。

 

このような人情物語として書かないと読者に読んでもらえないからです。

 

海外では、日本軍は悪の侵略国であり、その侵略から身をもって抵抗しているかわいそうな中国、という印象を持つような報道がなされていました。

 

日本は悪で、中国同情論が米国などでは大勢を占めていました。

 

でも実は上海事件は、蒋介石による「夷を以て夷を制す」のために、蔡延楷軍が日本軍により抹殺されることを望んだ、中国人同士の政権争いだったのです。