どんな釣りをしたのだろうか | シドニー日本人会釣り部2012-16

シドニー日本人会釣り部2012-16

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幼少の頃、物心ついたころ、成人式を迎えた頃、大学を卒業した頃、ワーキングホリデイでオーストラリアに訪れた時、帰国して釣具店勤務を始めてからなど、かなり大雑把になりますけれどこれからしばらくの間、私の釣り遍歴を書いていきたいと思います。

まずは幼少の頃。
ザリガニ釣り。「まっかちん」という響きを懐かしく思う人もいるかもしれません。家にあったスルメをちょっと千切ってあっちこっちの溜池に歩きで、そして自転車で出かけました。幼稚園の時には歩いてすぐの所にザリガニが釣れる消防用の貯水池がありましたが、ほどなくしてアパート建築で姿を消してしまい、小学校低学年の頃は小学校のそばにあった小さな沼に自転車で通いました。

定番はヨッチャンイカでのザリガニ釣りでしたが、網を片手に腿まで水に浸かり、泥と一緒にヤゴやミズカマキリ、小さなゲンゴロウなどを捕まえては放しを繰り返しました。
もちろん主役はマッカチンでした。

ある夏に母方の実家を訪れた時、その近所に住んでいた同世代の子たちと溜池にザリガニを釣りに行ったところ、やつらは餌にカエルを使ったのです。
アマガエルやトノサマガエルは畦道にゴチャマンといたのですが、捕まえてまず力いっぱい道路に叩きつけて殺した後、口から皮を剥いでピンク色の剥き身にしてタコ糸で縛るのです。

これにはちょいとビビりましたが事もなげにその後自分も真似しました。
茨城県筑波山を望む下妻での出来事でした。

当時の夏は夜になるとゲンジボタルが飛び交い、夜はカエルの鳴き声でうるさいくらいでした。
蚊帳の中で蛙の声を聞きながら、カブト虫とクワガタを朝早く起きて採りに行くのが楽しみで寝付けなかったのが忘れられません。

そしてもう30年も前に土葬されてしまったおじいちゃんと近所の用水池に一緒に釣りに行くと、大して浮きが動いてもいないのにピシリと竿を立てたかと思うと小鮒が釣れあがってくるのでした。
缶つきのビク、薄茶と黒の模様のグラスロッドが主役の時代でした。