後悔を残して死ぬから来世苦労するんだ、
という話があるけれど、
それならば
後悔しない在り方を実践すれば
いいだけのことなのでは??
別に、
何か特別優れた結果を出す
必要なんてなくて、
大富豪にならなくとも
世界一の美女にならなくとも
『主語を自分にして』
毎日生きればいいだけ。
なんなら
めっちゃド貧乏の
うだつの上がらない人生でも、
『主語が私ならば』
生ききった充足感、
きっとあるよね。
上手くいったことだけを
評価するなんてもったいない。
鬱も挫折も後悔も
あなたの大事な財産です。
…ということを
お彼岸にご先祖と話してた。
・
他人を主語にして
自分の人生に責任を
持たないことが
死に際の後悔の理由だと
思うんです。
以下、ご先祖とのやりとり。
私の発言、わりと鬼畜だな。
良い人やしっかりした人に見られたくて
ゲスい本音を隠して生きたから
後悔が残ったんだよね。
ほんとはグチのひとつも
吐きたかったはずなのに、
他人にいい顔したくて
節度ある人を演じたんだよね?
幼稚な人、
感じの悪い人、
って思われたくなくて
腹の底の怒りを無かったことに
したんですよね?
自分の感情に対して
杜撰すぎたから
死に際に後悔が渦巻いたんだよね。
感情の排泄行為が
下手くそだったから
そうなったんだよ。
私は、そうならないようにしたい。
・
どれだけ主語を『私』にして
人生の選択を成したか?
それこそが
人生満足度につながる気がする。
『選べなかった』
『選ばざるを得なかった』
↑
それさえも
『私の人生の選択だ』
と理解したとき、
自分で自分の人生の
全責任を取る覚悟が決まるから、
『私を生きる』
ができるようになる。
自分の運の悪さや
境遇の理不尽さに対する
不平等感を抱きしめていたい人は、
そんな自分であることを
『自分が決めた』ことを理解できると
パワーを取り戻す。
もし目の前の現実が
ネガティブの極みだとしも、
なんらかの現実を生み出せる自分って
すごくないか?
なんにせよ、まずは、
自分を主語にする勇気を出すこと。
誰かのせいにできない分、
深いところを生きていける。
・
・
・