デヴマン・ヒラチャン氏。

 

日本だけでなく、世界中のネパール人ディアスポラのあいだで、知る人ぞ知る著名人だ。

 

 

 

ネパール人コミュニティーの数々の要職にも就いてきた。

 

 

 

控え目で、口数が少なく、強い意志と信念をもって仕事をする。

 

 

 

日本で開催される様々なネパール人団体のイベントで、姿を見かけることは、ない。

 

 

 

なぜ?

 

 

彼は忘れられてしまったのか?

彼の方が距離を置いているのか?

 

表舞台から、静かに、退いていったのは、ヒラチャン氏だけではない。

 

ヒラチャン氏のような高名なネパール人はたくさんいる。

 

 

 

「時の流れと共に、顔ぶれも変わる。

自分自身の嗜好も変わる。

だから、仕事に精を出す。」

 

 

ヒラチャン氏は、40年以上、日本で暮らしている。

 

 

とはいえ、心はいつも故郷にある、と言う。

 

 

 

今は、仕事が忙しい。

 

 

 

農業、保健、教育、エネルギー、観光、金融、建設、ITなど、様々な分野に投資をし、大勢のネパール人に働く場を提供してきた。「

 

 

ネパール農業を近代化して、オーガニックにするのが、目下の目標だという。

 

 

 

NRN協会で勃発している紛争解決にも尽力しているものの、思うような結果は得られていない、とのこと。

 

 

「でも、絶望はしていない。

なんとか、努力して、一緒にやっていくしかない。」

 

 

「ネパール人コミュニティーは日々、大きくなっていて、ネパール人組織の数も増えている。

あっちの会に顔を出して、こっちの会に顔を出さないって訳にはいかない。

かといって、すべてに顔を出していたら、それだけでアップアップ。

だから、少し離れたところから、じっと見ている。」

 

 

 

 

「今のネパール人社会では、誰も人の言うことを聞いていない。

 

コミュニティー全体が、ちょっと手に負えなくなっている、と言える。

 

シニア、ジュニア、リスペクト、といったことが、失われている。」

 

 

 

 

「日本の生活習慣とシステムに従ってほしい。

次々と来日して来るネパール人の、好ましくないニュースが減っていくことを期待したい。」

 

 

 

「外国にいるのだから、何よりもまず、自分たちはネパール人なんだってことを常に忘れないで、仲良く、助け合って、初めて、豊かになれる。」

 

 

 

 

ムスタンのタカリ民族の中流家庭に生まれた。

 

日本で得た知識、技術、経験、資本、それらを携えて、できるだけ早く、帰国して、国づくりに貢献したい、と言う。

 

 

 

「ネパールのダルバートが好き。

ネパール音楽が好き。

 

残りの人生は、ネパールで、過ごしたい。」