【ギータ・パンデ署名記事】
慈善家やジャーナリストなどが来ると、孤児院に来ると、バブルは姉のことを話した。
姉に会いたい、と。
でも、それが実現するしたのは、ようやく2017年になってから。
新しい役人が孤児院に来て、バブルが、姉のラキはデリー近くの保護センターに連れて行かれたという話をして、事が動いた。
「デリー周辺の孤児院全部を隈なく調べてくれたんだ。
それで、初めてどこにいるかが、わかった」とバブル。
「政府の人に言いたい。
こんなふうに、姉弟や兄妹を別れ別れにするって、ひどい。
一緒の孤児院に置いておくべき。」
わが子らとビデオ電話をして、涙を流す母親のニトゥクマリさん。
家族が再会を果たし、ニトゥクマリさんと一緒に写真に収まる活動家のナレシュ・パラスさん。
バブルとラキは、電話で何度も話すようになった。
家族に再会したい、という話になると、ラキは迷った。
「13年も会ってない。
これって、大変なこと。
だから、母親に会いたいって気持ちはなかった。」とラキ。
しかし、バブルの母親に会いたいという気持ちはなくなっていなかった。
「ラキに再会できて、すごく嬉しかった。
それで、母親にも、きっと会えるって、信じることができた」とバブル。
孤児院でも生活も、バブルとラキでは、異なっていた。
バブルは叩かれたりして、辛い思いをしていた。
ラキは、保護センターの人はいい人だった。
バブルは、何度も孤児院から逃げようとして、そのたびに怖くなって戻っていた。
一方で、ラキは言う。
「家から逃げてなかったら、人生はもっと違うものになっていたと思う。
センターに来たから、学校にも行けたし、病気になったら治療を受けることもできた。
デリーという大都会の近くに住めたから、いろんな便宜も得られた。」
去年の12月20日に、バブルはアグラの子ども担当官のナレシュ・パラスと電話で話した。
「これまで、いろんな子の家族との再会を実現させてきたって聞いた。
僕の両親を探してくれる?」
2007年以来、この分野で仕事をしてきたパラス氏は、当初、複雑でややこしい事案だと思った。
姉弟は、父親の名前を覚えていない。
ふたりが提示したカードに記載されていた父親の名前は、それぞれに異なるものだった。
ふたりは、自分たちがどこで生まれたのか、何州で生まれたのか、知らなかった。