【 明智光秀が國體側なら 】 細川ガラシャと関ヶ原の戦いへの考察 | 國體ワンワールド史観で考察するブログ

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日本の教育への疑問から始まった当ブログは、教育への関心を残しながら落合莞爾氏の國體ワンワールド史観に基づいた情報発信にシフトしています。
また最近はサニワメソッドを活用したスピリチュアル関連の情報発信も行っています。

明智光秀が國體側だった。

 

ということは、当然その娘である玉(細川ガラシャ)も國體側だった?

 

細川ガラシャ

 

玉も國體側のために動いていたのなら、キリシタンになったのも偽装と思われる。

 

そして、あの悲劇で語られる最期も実は偽装では、と思えてきた。

 

俗にいう武断派大名を確実に徳川側にするためには、玉のような悲劇の演出は効果的だったはず。

 

また、玉も偽装キリシタンになることで、イエズス会から様々な情報を得ていたはず。

この情報は、そのまま國體側に流されていたと思われる。

 

なにより、よくよく考えたら、吉川広家の動きもさることながら、小早川以外の裏切り大名は綺麗に横一列に布陣していたことも変。

 

関ヶ原の合戦配置図(Wikipediaより)

 

家康がせっせと手紙を書いて工作していたことは知られているが、それにしても横一列がすべて裏切るというのはちょっとおかしくないだろうか。

 

それに、毛利秀元や吉川広家の先に池田輝政。

國體勢同士仲良く固まっている。

 

また、小早川は関ケ原の戦いの後、筑前から岡山に転封されている。

筑前は要衝として國體側黒田家が治めることが決まっていたらしく、つまり、小早川は必然的に動かされるための口実が必要だったことになる。

 

小早川秀秋は暗愚だった、というのは定説ではあるが、これ自体が創作された話であったとしたら。

毛利家自体が國體側であり、それは吉川家も小早川家も当然知っていたと思われるし、國體側であっただろう。

 

当然家康が國體側として動いていることは知らされているはず。

 

加えて、横一列の裏切り組は4大名中3大名が、もともと近江出身で、それ以外の赤座直保はもともと朝倉氏の家臣であったが一族の一部が美濃土岐氏や斎藤氏に仕えているなど、どことなく4大名とも國體側の臭いもする。

 

Wikipedia:赤座氏

 

興味深いことに、無嗣断絶した小早川氏の家臣や寝返ったのに所領を没収された赤座氏は、多くが前田家や紀州徳川家に仕えたとのこと。

 

Wikipedia :小早川秀秋

 

Wikipedia:赤座直保

 

前田家は菅原氏で土師、紀州徳川家の実情は落合莞爾氏の書籍を読んでいる人には馴染み深い。

 

ドラマチックに描かれている関ケ原の戦いも、こうやって分解し、仮に國體側であったことを想定すると、家康が勝つように仕組まれていたことが透けて見えてくる。

 

最初に話を戻し。

 

もし、こういう逸話でもあれば、玉が偽装死していたことは確定になるかもしれない。

 

細川忠興は、城内に自分や一部の人間しか近づけない部屋や建物をもっていた、もしくは、忠興が頻繁に通った寺があった、もしくは、忠興がお忍びでよく出かけた場所があった、など。

 

以上、予想でした。