日本の政治を問う

日本の政治を問う

バブル崩壊後、経済は低成長に留まり、中国他新興国の台頭によって、国際社会での地位も相対的に低下してしまった。

世間では、失われた10年、20年と呼ぶが、決して過去形ではなく、現在もまた「失われ続けている」。

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アメリカが大量破壊兵器を持っているとしてイラクに攻め込んだのはいつだっただろうか。あれは2003年3月のことだ。

イラクの自由作戦という美辞名句の下行われた戦いは圧倒的なアメリカ軍の勝利に終わり、イラクの独裁者サダムフセインの惨めな姿が全世界に放映された。

たとえ大量破壊兵器が見つからなくても、「反米独裁者=悪」サダムフセイン政権を崩壊させたことに当時のアメリカ大統領や危険な側近たちは歓喜したが、この作戦が長い目で見れば失敗であったことは、その後の歴史を見れば明らかである。

 

中東では、サウジアラビアに米軍が駐留したことで、ISという凶悪なテロリスト集団が生まれた。

中国は、国際社会の静止を全く受け付けようとしないアメリカに驚愕し、その後軍拡に奔った。

そして北朝鮮もまた、核を持たなければ、アメリカに攻め込まれてしまうという教訓を得ることになった。

 

今、アメリカは北朝鮮に対し「北朝鮮は潜在的に経済が飛躍する力を持っている」などと甘い言葉を使って核兵器の放棄を迫っているが、その一方で前アメリカ大統領のオバマとヨーロッパの主要国とイランで結んだイランの核開発中止の見返りであった経済制裁の解除を、一方的に破棄するという暴挙に出ている。理由は、イランが反米国家であり、しかも現大統領のトランプが彼らを毛嫌いしているからであろう。

 

イランが協定に違反したという明白な証拠はあがっているだろうか? そんなニュースはみたことがない。もしそんな事実があったならば、ヨーロッパ諸国もアメリカに同調し、進んでイランに圧力をかけただろう。しかし、イランを目の敵にしているのはアメリカのみであることを見ても分かる通り、証拠の有無などアメリカにとってはどうでもよいのだろう。かつてイラクに攻め込んだ時のように。

 

攻めたい時が攻めるとき。

 

このような暴挙は、同じ時代に生きる政治指導者たちにどのように映るだろうか? 仮に核兵器の開発を断念しても、アメリカ大統領が変われば、アメリカの機嫌を損ねれば、いつでも反米国家のレッテルを貼られ、攻撃対象になる(事実、アメリカは中東に空母を派遣し、イランとの努力衝突の緊張を高めている)。

 

聞き分けのいい子になったところで、結局のところ核を持たなければ、いずれ攻め滅ぼされるという教訓を、北朝鮮の指導者が得たとしても不思議ではない。

 

この気分屋アメリカの外交姿勢は、決して賢明とは言えない。もし北朝鮮に本当に核開発を断念させたいならば、核開発を断念したイランという国にアメリカはもっと寛大でなければならない。今回のイランへの圧力強化は、北朝鮮の金正恩にとって決し他人事ではない。彼は今後、アメリカが簡単には戦争に踏み切れない国になるため、更に核兵器の保有、そしてアメリカ本土まで届く大陸間弾道ミサイルの開発に傾倒していくだろう。

 

 

もっとも、北朝鮮の核放棄と経済援助という戦略も茶番だ。経済が再建されれば、その経済力を用いて、軍備増強が可能になる。北朝鮮の狙いは経済の立て直しによる核開発であり、決してただ経済をよくしたいということではない。なぜなら金のロイヤルファミリーは、たとえ北朝鮮人民がどんなに飢え苦しんでいても、贅沢三昧な生活ができるのだから、国が豊かになること自体は二の次なのだ。国を豊かにしたいのも、外貨を稼ぎたいのも、あくまで自分の地位を絶対にするために軍備増強のためだということを忘れてはならない。

まあ、それは言わずもがなではあるが。