阿波は弥生時代から栄えて大きな集落のあった場所ですが、なぜか日本の古代史ではスルーされている場所となっています
邪馬台国の卑弥呼の時代というのは、九州と阿波が大きく栄えていました
どうもこの阿波には秘められた謎があるようなのです
そこで今日は霊査を交えながら、古代阿波の謎に迫っていきたいと思います
まずはじめに古事記における国生み神話について見ていきます
イザナギとイザナミの神様は、オノコロ島に降り立って夫婦の交わりをして国を生んでいきます
その時最初に生まれたのが水蛭子(ひるこ)でしたが、この子は葦の船に乗せて流し捨てます
次に淡島(あわしま)を生みますが、この子もまた、子の数には入らないと記されています
その後、淡路、四国、隠岐島、九州などを生んでいったとされます
最初にオノコロ島が登場するのですが、この島は阿波=徳島の吉野川にある中洲の舞中島ではないかという説があります
舞中島には式内社において全国唯一となるイザナミ神社が祭られている場所です
他に式内社といって由緒正しい神社で国生みのイザナミ神が祀られていることろがないのです
ここが国生み神話に深くかかわる場所であると推定できます
さらにそこから生まれて来る子として、水蛭子と淡島が登場します
水蛭子と淡島についてはこれまで、身体の弱い子が生まれたと解釈されてきました
ですがその後に幾つもの島や国を生んで行っている事から、この二つの子というのも、土地を指していると思われるのです
さらに次に淡路島が生まれた事から、オノコロ島である舞中島と淡路島に近い場所だと考えられます
おそらく水蛭子というのは、骨のない子という意味ではなく、干るを意味し、阿波の吉野川沿いの水辺を灌漑整備して田んぼなどにした場所ではないかと思われます
もとは沼だったところを稲作が出来るように整地した場所なのかもしれません
三好郡東みよし町昼間(ひるま)の「大柿遺跡」からは日本最古の弥生前期の約2200年前の棚田が検出されています
ここが水蛭子とされた地だったのかも知れません
そして淡島というのは、日本最大の中州である吉野川の善入寺島の事と思われます
善入寺島はもともと粟島(あわしま)と呼ばれていました
このようにオノコロ島と水蛭子、淡島とは、いずれも吉野川沿いにあった場所を指してあり、さらに同川が海に流れる先にあるのが、次に生まれたとされる淡路島になります
阿波の阿という字は始まりを意味する言葉です
もともとのはじまりが阿波だったことをしめているように感じられます
古事記におけるオノコロ島と水蛭子と淡島とは、現徳島の阿波の事を示していたのではないかと思われます
ではなぜ古事記では船に乗せて流したとか、子の数に入れないと書かれているのでしょうか?
ここからは霊的に感じた事ですが、当時、阿波に住んでいた人々は、この地を捨てて遠くへ移住していった歴史があるようなのです
その当時の事を感じ取っていると、当時は吉野川の水源に頼って生活していたようなのですが、どうも大干ばつが起こって、生活が難しくなったようなのです
そこで生活しやすい土地に集団で移住する事を決めました
それが奈良県の纏向地方だったのではないかと感じます
古代に阿波から纏向の方へと集団移住が行われたのですね
その理由が天変地異があったようなのです
それが大和朝廷に繋がっていったようですね
水蛭子を船で流したという話は阿波の地を捨てて、遠くへ移住していったことの暗喩だったのかも知れません
ではなぜそれが歴史から消え去ったのか、九州勢力との関係などはまた次回に書きたいと思います
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