【感情の性質と精神性】何がなんでも手放したくないという依存心② | 読むカウンセリングセラピー

読むカウンセリングセラピー

 人が悟りの境地に至るまで、山あり谷ありの人生。
    そして、やっぱり与える生き方を選んだ。 
    泣いてもいい、怒ってもいい、人間らしいじゃない。
    どんなあなたも愛らしいんだよ。

夫の10日間のお盆休み。ゆっくり出来ました。

 


さて、ただいま依存症を取り扱合い、その性質や精神性を書いていますがその続きです。

 

ぽっかりと穴の空いた心は、優しくしてくれる人や愛情を与えてくれる人が現れたら、まるで子供に返ったかのように甘え、終わりのない欲求を抱きます。

 

一見、その関係性を傍から見ていると恋愛感情のように見えますが、実はここにも大きな落とし穴があって、


依存症者の方は他者に対して、理想のお父さん、理想のお母さん、理想のお兄さん、理想のお姉さんと言ったように、自分の理想の誰かに愛してもらえるように精一杯尽くします。

 

ただ、あくまでも自分の理想の○○であって欲しいという願望は、日々の積み重ねにより「あなたは○○だからこうしてくれなければならない。」という気持ちを持ち、そうしてくれなければ被害者意識でいっぱいになります。

 

なぜなら、上に書いた“自分の理想の誰かに愛してもらえるように精一杯尽くす”この行為の積み重ねは条件付きの行為であるため、自分の期待に沿ってくれなければ「自分はこうしてあげたのに、あなたはこうしてくれなかった」と被害者意識に向いてしまうのです。

 

幼い頃、親に十分に依存することが出来ず、安心という感覚を得ないまま大人になり、自分を愛してくれる人を他者に求めてしまうのですが、自分の期待通りに人が与えてくれたら、自分は愛されると胸をなでおろし、自分の価値を確かめる行為に繋がっています。

 

“自分の期待に応えてくれる人、自分に与えてくれる人が自分を愛してくれる人”という隠れた気持ちは、本人でさえ気づいていないことも多く、そうしている間は、まさか自分が依存心を抱えているなんて思ってもいないはずです。

 

愛されたいという欲求と同時に喜んでもらいたいという欲求もあり、精一杯尽くすのですが、そこには“人に喜んでもらうことをすれば人から愛されるはず”といった見返りの期待を秘めていますが、

 

本当はね、何かが出来ても出来なくてもあなたを愛してくれる人は必ずいるものです。

 

愛は与えるもの。無条件に与えるもの。それがどんなことなのか体感していくには、まずは寛容さを取り戻すことが大きな鍵となっていきますよ。

 

ではでは。