【感情の性質と精神性】寂しさが変容した孤独について② | 読むカウンセリングセラピー

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 人が悟りの境地に至るまで、山あり谷ありの人生。
    そして、やっぱり与える生き方を選んだ。 
    泣いてもいい、怒ってもいい、人間らしいじゃない。
    どんなあなたも愛らしいんだよ。

これまで“寂しさ”の感情の中にあるさまざまな性質や精神性を書いてきましたが、寂しさが孤独として変容した後の性質や精神性を書いています。

 

孤独という精神性は、寂しさの精神性よりメンタル構造が複雑です。


そして、他人から傷つけられたと感じた時、復讐心を抱きますが本人は無意識です。

 

分かりやすく言うと、私たちは人生のどこかで、孤独感、無価値観、劣等感、罪悪感を感じたことがあると思いますが、


これらの感情が自分には必要ないと思った時に多くの方は、孤独感も無価値観も劣等感も罪悪感も手放そうとするはずです。

 

しかし、幼いころから真実の愛を探し、その愛に傷ついてきた人は、無価値観、劣等感、罪悪感は簡単に手放せても、孤独感だけは手放しません。

 

これは、小さな頃から始まっている行為で、これも本人は無意識です。


そして、その行為とは「ほらね」探しをしていきます。

 

誰かからひどい扱いを受けたら→ほらね、やっぱり

誰かから別れを告げられたら→ほらね、やっぱり

 

小さな頃に両親に愛を求めてはことごとく裏切られ、いつの間にか「ほらね、やっぱり自分は孤独。」と、これを証明するために試す行為を身に付けてしまったのです。

 

これは強化行動によるものですが、多くの方は思いやりの心や理性が意識上にあるので、証明してもそれで終わりです。

 

しかし、自己愛と妄想性に歪みが強くなれば復讐心を抱きます。そして、その復讐の仕方は様々ですが、特に多いのは無視です。

 

人を思う気持ちや理性があれば、ここに存在があるのにいないものとされたらどんなに苦しいか分かるので、まず無視はしません。

 

自己愛がちゃんと育っていれば、自分を大切にするからこそ相手を戒めません。

 

たとえ人間関係の中でトラブルがあっても、妄想性に歪みがなければ“今”を見るので、この人は悪い人だと決めつけることもないし、復讐心は抱きませんが、

 

自己愛や妄想性に歪みがあると、その戒める行為が3年、5年、10年と延々とあからさまに無視をし続け、長い年月に渡り相手に究極の孤独感や罪悪感を植え付けて復讐していきます。

 

本来、人間関係が壊れた時には、誤解であったり、お互いさまということがたくさんありますが、なぜ相手がそうしたのか?自分には本当に非がなかったのか?そんなことを考えることはありません。

 

孤独を抱えた方が憎しみと復讐心を抱くと「お前(あなたが)が悪い。」「お前が(あなたが)あんなことをしたから」と、「自分は被害者であり、自分は悪くない」と、そこに行きつきます。

 

しかし、究極の孤独を他者に味合わせることが、どんなに愚かなことか?

 

無視だけではなく人を戒める行為は因果応報で自分に返ってくるだけで、天井を向いて唾を吐くようなものです。

 

私は、復讐心ほど人間にとって必要のないものはないと思うのですが、

 

「どうしても復讐しなければ気が収まらない」「やり返さなければ気が済まない」という人がいますが、

 

究極の復讐があるというなら、自分が幸せになることではないかな?と私は思います。

 

ではでは。



今日もお読み頂きありがとうございます。