明日9月13日、天皇皇后両陛下が豪雨被災地の呉市・天応をお見舞い訪問のご予定です。

今回の広島の豪雨被災地は、神武天皇東征に所縁のある地が多いのですが、この呉市天応地区もそのひとつ。

 

http://kurechin.web.fc2.com/#tenno

天応の地名は天応山によるとされる。 この山の名は、神武天皇東征の折、安芸国埃宮に御駐留のとき、この地に臨まれた古事から、山上に山頂に「天皇社(天王社)」が祀られ、「天皇山(天王山)」と呼ばれるようになった。 しかしながら、畏れ多いということで「天応山」と改められたという。

 

呉市公式ページ 天応名所案内 NO.2

https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/6983.pdf

天応山は,天応塩谷町にそびえる標高49.5mの小山です。神武天皇が東征時に立ち寄ったとの伝説にちなみ,天応山と呼ばれたとされています。  ※ 天応地域情報マップはこちら → 

 

 

豪雨による土石流で呉市の中でも天応地区はさらに孤立してしまったのですが、唯一、海軍兵学校で有名な江田島の切串港とを結ぶ海路(フェリー)だけは利用可能でした。


その江田島の切串も、神武天皇の東征に所縁のある地です。ここにあった埃宮は洪水で流されてしまい、府中町へと移動したとの伝説が残っています。
 

神武天皇東遷経路 安芸埃宮

http://www.geocities.jp/mb1527/N3-15-1tousen5.html

2-5.安芸郡江田島町切串

昔神武天皇が御東遷の際、安芸国に到らせ給ひ、埃宮に行宮を造らせ給ひしはこの地であって、地方人は其の神徳を欽仰して、お宮を造営したのであったが、太古この地に洪水があり、其の為に埃宮は流されて遂に府中町のほうにいかれて終まった。宮跡は長谷川口の丘陵に在ったと伝える。


呉市に隣接する広島市の矢野地区においても、土石流によって多くの死者が出ました。この矢野地区にも、神武天皇東征の所縁の神社が残っています。
 

矢野社堂図鑑

https://ameblo.jp/yanomii/entry-10654004289.html

多家神社(たけじんじゃ)
訪れることの難しい谷底にある「幻のほこら」。鷹宮、多家宮、天神など多くの呼び名がある。昭和14年、府中町の「多家神社」と神武天皇東征の伝承地を争い、敗れた。菅原道真も祀られ、矢野天神の地名のもとになっている。「多祁理(たけり)の滝」を背に神聖な雰囲気を醸し出すスピリチュアルスポットである。

 

「多祁理」との表記がありますが、古事記においては多祁理宮(たけりのみや)、日本書紀においては埃宮(えのみや)に神武天皇が東征の際に滞在した、と書かれています。その宮の場所はどこであったのか?については広島では今なお論争が続いておるようです。
 
※ 矢野地区の多家宮は、今回の豪雨土石流でかなりの被害を受けたのでは?

 

 

<関連>

両陛下 日帰り2回、ヘリ利用の強行日程は被災地の負担への「ご配慮」 2018.9.11 11:31

https://www.sankei.com/life/news/180911/lif1809110017-n1.html

宿泊しないことで地元自治体の負担も回避でき、警備の場所も減らせるヘリを使った日帰り訪問が決まった。