これで始まり! ひとまず完結だ話 9話 後編 | japamerican-kohのブログ

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1980年、18歳で渡米。その後、各地を訪問し、カリフォルニア州、コロラド州、ニューヨーク州、ワシントン州などの各地で居住。通算30年プラス、アメリカを放浪中です。

ホストに見つかると小うるさいので、一日中、冷房のない暑い部屋で息を潜めているか、ボーリング場に隠れているか位しかありませんでした。夏の外はカンカン照りで40℃を超えるスーパードライな地域です。道理で、ぶどうが美味しい訳です。でも、外にいたらひっからびちゃいます。ですから、ESLと部屋の往復だけで、ほぼ引きこもり状態です。もう限界でした。「18の夜」家出の計画を進めるしかありません。

まずは、アパート探しを始めました。「自由になりたい誰にも縛られたくない~」とカレッジの周辺を歩き回り、手ごろな物件をさがす日々が2~3週間ほど続きました。驚いたことに、アパート全体がベトナム人の難民キャンプになっている所がいくつもありました。間違って入って行くと、「むにゃむにゃぐにゃぐにゃ」言いながら、開いた両手を前に突き出して、「バックバック、ぐにゃぐにゃむにゃむにゃ」と追いやられます。どうやら、仲間には入れてもらえそうにありません。

そしてロス上陸から4か月ほど経ったある日、ついに小綺麗な、なんとプール付きのアパートを見つけ、入居可能となりました。家賃は月、200ドル(46,000円)くらいでした。それで全館、冷暖房で、おまけに暖炉まで付いている1LDKです。東京では間借りの下宿で、共同トイレ、風呂無しでも家賃4~5万円ほどしていました。日本の家屋とのインフラと価格の違いにびっくり仰天しました。

また、どこの馬の骨かも知れない18歳のガキんちょが身振りと手真似でだけで、アパートを借りることが出来たのも不思議なもんです。まだまだ、当時は全般的に緩かったし、優しかったんですね。「なんとかなっちゃう、がははっは」です。クレジットチェックもなかったですから。敷金一月分で、はいOKでした。それでついに、イスラエル人のお友達のイザヤ君に、家出の計画を話します。

私、「Hey Isaiah, I need your help. Could you help me move? I need a car.

イザヤ、「You mean, Move Move?」

私、「Yeah, Move Move.」

イザヤ 「Ok, what you got?」

私、「I have one big suitcase. That's about it.」

イザヤ、「Is your host mother know about this

私、「No. That's why. Help me. Escape! Escape」「Help! Help me! Please

イザヤ、「OK.o~k.」

とやっぱり、いい奴でした。基本はホストのママ、ボス、のっぽさんなどに見つからないように、捕まらないように、誰も家にいない時間帯を狙い、さっさともぬけの殻にすることです。昼間は皆、ほとんどいませんから。正午にESLの授業を終え、その足でイザヤにママの家まで連れて帰ってもらいます。トランクを詰め込み、カレッジから徒歩10分の所に見つけたアパートへ直行してもらいました。日本の親には、「この留学可笑しいから、ホストファミリーを出ます。落ち着いたら、連絡します。」と言う主旨の手紙を郵送しました。ご想像通り、後日、こっぴどく、とことん叱られました。「ごめんなさい。」です。そして、ホストには置手紙を残しました。

Dear everybody, 

Thank you very much for everything.  Move to S city near College.  Bye-bye.

という感じの残す程もない、お粗末なものです。今考えると本当にお恥ずかしい限りです。恥の上塗りとはこの事です。しかし、まあこうして、私のアメリカ放浪は始まってしまったのです。その後、一年半ほどしてから、お世話になったホストファミリーの皆様を訪ね、きちんと謝罪し、又、丁寧に御礼を申し上げましたのでご安心ください。

そうそう、忘れてはいけません、植木屋さんにも保険屋さんにも、その後、2度とお目にかかることはありませんでした。しかし、驚いたことに、お二人の共通のお友達で、この留学をアレンジしてくれた某氏は翌年、更に4人の山梨県からの留学生をL市に送り込みます。彼らはサンフランシスコから、きちんと学業ビザ(F1)を携えて入国したと言いますから、ちょっと腹が立ちます。そして、3年後の夏にはなんと、30名ほどの一個団体が山梨県のK市とこのL市の間を行ったり来たりします。保険屋さんが、あの日(第6話参照)つぶやいたように、姉妹都市の文化交流が本当に始まっちゃたんです。、
 
更に某氏は山梨でアメリカ物産展なるものを開催しました。そこで私は驚愕の光景を目にします。あのボスとのっぽさん率いるメキシコ舞踏団がイボンヌが「ヒーハー」叫びながら、ドンドカドンドカ踊ってるじゃありませんか、山梨県ですよ。相変わらずの、めちゃくちゃぶりです。「なんで、アメリカ物産展でメキシコ人がダンスしてるの」まあ、皆んな、最高に楽しそうでしたけどね

更に更にです。某氏はその10年後、数千人の日本人をアメリカに留学させることになります。そして何の因果でしょうか、私は、そのお手伝いをすることになるのです
「そうか~、まあ、なんとかなるさ、がははっは」と微笑みながら

ひとまず完結。


完読ありがとうございました。