「ゴッホ美術館」と並んで、「アムステルダムに行くなら、ここだけは絶対はずせない!」と事前に予約を入れたもう1つの場所が「アンネフランクの家」。
第二次世界大戦時に2年以上に渡ってナチスの追跡から逃れるために、アンネ・フランクの家族(と他の4人)が隠れていた実際の「隠れ家」の場所です。
「隠れ家」は、アンネのお父さんが経営していた会社のあった建物の「奥の部分」で、アムステルダムの町中にその建物は今もあります。
左側が通りに面している表部分。左半分が会社の事務所、
そして右側の地下を除く3階プラス屋根裏部分が「隠れ家」です。
アンネ・フランクの事を知っているようで余り知らなさそうな息子のために、プラス30分の「特別ガイドツアー」を予約しました。
最初の30分は別室でビデオを見ながら、ガイドさんが英語でアンネ・フランクの家族のことや時代背景などを説明してくれました。
展示物はそれ程多くないのですが、「ユダヤ人」を他の人と区別するために、
ユダヤ人に強制着用させていた「ダビデの星」や身分証明書書などが展示されていました。
30分のガイドさんとビデオによる説明の後は、いよいよ「隠れ家」を実際に見て回ります。フランク家4人の中で、唯一生き残ったアンネのお父さんのオットー・フランクが、「隠れ家」を一般公開するにあたり、それぞれの部屋を戦時中のように復元することを望まなかったため(アンネ達が実際に使っていたベッドなどの家具は、全てナチスにより没収されたようです。)部屋は全てそのままですが、中には何もありませんでした。(そして写真撮影も禁止されていました。)
オットーの会社(建物の表部分)と、「隠れ家」(建物の裏部分)を繋いでいた箇所。
本棚の扉で隠されていました。(絵葉書より)
隠れていた当時の模様は、各部屋にある写真で様子を伺い知ることが出来ます。
(絵葉書より)
アンネの家族が戦況を知るために使っていたラジオ。
我が家は夫を含む3人の子供達が「ユダヤ人」なので、アンネの話は他人事ではなく、「生まれた時と場所が違っていたら」アンネは自分だったかもしれない、、、という存在です。ポーランドにあるアウシュヴィッツや、ドイツにあるダッハウ強制収容所は重過ぎて、果たして見学する勇気があるかどうか、私自身を含めて解らないですが、アンネ・フランクの家はそこまで重くなく、けれども確かにナチスのユダヤ人迫害をかなり現実として感じることが出来る、とても為になる場所でした。
私自身は子供の頃に文庫版の「アンネの日記」を読み、その後はアンネ・フランクの伝記漫画を娘達と一緒に読みましたが、今回実際に「隠れ家」を自分の目で見ることが出来て、アンネ達8人が息を潜めて2年間住んでいた場所(狭かったです)に実際に足を運ぶことが出来、とてもよい体験が出来たと思いました。
アウシュヴィッツ強制収容所がソ連軍によって解放される直前に別の収容所に移され、
戦争が終わる少し前にチフスにより収容所で亡くなってしまったアンネ・フランク。
亡くなった時は16歳でした。