Chambord(シャンボール城)

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シャンボール城(BBCサイトより)

 

 

フランスのロワール渓谷にはお城が何百とあるらしいですが、内部見学をするには当然入館料もかかりますし、中は案外似たり寄ったりで、そんなに沢山見る必要もないのではないか、、、と色々自分に言い訳をして、今回の旅では、お城の内部見学をしたのはレオナルド・ダ・ヴィンチゆかりの品が色々と展示されている「クロ・リュセ城」と、今回紹介する「シャンボール城」の2つに留めました。

 

この「シャンボール城」は、ロワール河沿いにある数多くのお城の中でも最も有名なお城の1つで、レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に寄与したと言われている、有名な二重螺旋階段もあり、また城自体の規模も大きく、結局お城の内部を全部見学するのに半日はかかりました。

 

 

快晴の真夏日。お城が見えてきました。(おっと残念!塔が修復作業中です。)

 

 

あお城の中央にある2重螺旋階段です。(BBCサイトより)

 

 

最初に城の設計に関する短いビデオを見ましたが、このお城は全体がかなり幾何学的に作られており、デザインとしても興味深い感じがしました

 

お城は真上から見ると、こんな設計になっています。(ウィキぺディアより)

 

 

螺旋階段は2箇所から登れるようになっており、2つの階段を使って登ると

相手に出会うことなく登れる構造になっています。中は吹き抜けになっています。

 

 

螺旋階段を上まで登り、沢山ある部屋の1つ1つを見て回ります。膨大な部屋数なので、自分がどこにいるかすぐに分からなくなりますが、中央にある螺旋階段がよい目印となります。

 

 

このお城の最初の城主:フランス国王、フランソワ1世

 

 

このお城は、フランソワ1世の肝いりで建築されたのですが、完成までに20年の歳月を要したこと、また狩猟の際の短期滞在を目的として建造されたため、フランソワ1世がシャンボール城に滞在したのは通算7週間だったということです。(そして数日間の滞在の度に、数千人で家具調度品を持ち込んで滞在に備えたというのですから、もうその贅沢さには驚かされます。

 

 

こちらは「狩の部屋」です。狩りにまつわる調度品が沢山ありました。

 

絵画も全て「狩り」をテーマとしたものです。

 

 

こんな椅子もありました。

 

 

こちらは「偉人の間」。左はマリーアントワネットです。

 

 

玉座でしょうか?

 

 

「劇場の間」です。

 

 

暖炉も贅沢です。

(ほとんどの部屋に暖炉がありました。ーでも暖房は余り効かなかったようです。)

 

 

 

王様と王妃様の寝室(別々の部屋でした。)

ベッドは小さく、昔の人の身長が低かったことを忍ばせます。

身長160センチの私でもギリギリ足が入るか、、、という大きさです。

 

 

厨房です。

 

 

シャンボール城内の部屋の中で1番大きい部屋:礼拝堂です。

(今回お城の内部見学は2回しかしていませんが、どのお城にも必ず礼拝堂があるようです。)

 

 

フランソワ1世の紋章は「火トカゲ」だったということで、

お城のあちこちに「火トカゲ」の飾りがあります。

 

 

この「F」の飾り文字も、「フランソワ1世」の「F」に由来します。

 

 

こちらは天井。「F」と「火トカゲ」の模様です。

 

 

螺旋階段を登りきった、城の上部です。城壁の細部の飾りまでもよく見ることが出来ます。

 

 

良い眺めでした。

 

 

贅沢を尽くした広大な庭も、テラスからだとよく見渡せます。

干ばつ対策で、芝の水やりを制限していたためか、芝は茶色になっていました。

 

 

半端ではない広さです。

 

 

15世紀に建てられたシャンボール城ですが、その歴史には色々と面白い点があります。20年もかけてこれ程の規模の城を作っていながら、城主は2ヶ月弱しか城を使わなかったという点。その後何人かの王様が城主となりましたが、その間放置されて荒れるに任されていた時期もあったこと。そして第二次世界大戦の時には、ロシア軍やナチスによる略奪を防ぐために、ルーブル美術館に展示されていた有名な美術品の多くが、シャンボール城を始めとする近辺の城に避難されて隠されていたこと。(シャンボール城には「モナ・リザ」が避難していたようです。その作業たるや綿密な計画によるもので、「囮用の『モナ・リザ』が入っていると見せかけた箱」まで用意していたというから驚きです。(お城の地下にそれに関する展示がありました。)

 

これ程の規模のお城はメンテナンスするだけでも大変で(暖房もよく聞かないため、冬の滞在には適していなかったそうです)、歴代の持ち主が放ったらかしにしていたのも理解できますが、今では「フランスの庭」と呼ばれる、フランスの主要な観光地となり、世界中から観光客が訪れ、おそらくフランスの財政にも貢献しているはず。

 

これはドイツにあるルートヴィッヒ2世が造った「ノイシュヴァンシュタイン城」もそうですが、当時の王様達は別に国の財源を助けるためにお城を造ったのではなく、自分の夢と贅沢のために建てたのですが、それが数百年も建つと別の役割を果たすようになるのですから、長い目で見ると何が起こるかわからないものです。

 

 

写真出典: